久しぶりの「かな入力」が思い出させた、あのときの感覚。
もともと自分は「かな入力」を使っていました。
ところが5年前にiPadを持つようになったとき、そもそもiPadではかな入力できず、仕方なく「ローマ字入力」に切り替えたんです。
そして最近、iPadからノートパソコンに切り替えたことで、5年ぶりにかな入力しようとしたら、ほとんど初心者並みのレベルに落ちていました(笑)。
小学6年生から40歳まで28年間ずっと、かな入力。もはやキーボードを見なくても空気を吸うかのように自然に入力できていたのに。。。
で、けっこうなショックを受けました。
ちなみに、この記事は、かな入力で書きはじめています。
ここまで書き終わるのに、とっても長い時間を要しました(汗)。
それでも断片的に覚えているようで、単語によっては入力が速くなります。
ちょっとずつ、つまずきながらも、しっかりと。
なんだか、脳の奥にしまいこんでいたものを、久しぶりに引っ張り出しているような感覚。
それが不思議と、心地いいんです。
なんでしょうね、この感覚って。
「これ絶対に流行る!」と、わくわくしながら初めてパソコンを触った30年以上前のころまでタイムスリップするような。
童心にかえっておもちゃをいじっているような。
そうなると、どんどん楽しくなって、不思議なくらい文字を打つのが速くなってきました。
ほんと不思議。
こんな感覚は初めてかな?
いや、よく考えてみたら、そんな瞬間はこれまでに何回かあったかも。
そう。たとえば。
自分の実家は酒屋でした。
小売をしていたのと同時に、立ち飲みも営業していた家。店内にはカウンターがあって、毎日、常連さんや知らないひとが仕事帰りとかに一杯飲みに来ていた、そんな家。
カウンターに並べられた缶詰や珍味たち。夏には冷奴(ひややっこ)や冷やしトマトが、冬にはあったかい湯豆腐やけんちん汁が。
いまは亡き祖母が、接客と調理でせわしく動いていた様子を思い出す。みんな楽しそう。学校から帰ると、いつも店の中を通るので、お客さんたちから「おかえり~」なんて声をかけられたり。
そんな原体験を呼び覚まされた瞬間がありました。
3年以上の旅で訪れた、ひとが集う場の数々で。
そう感じた家やまちのことを、まるで実家や生まれ故郷のように好きになっていきました。
楽しい。
なんだかその場にいることが、自分らしい。
なつかしい。
これからもここに身を置きたい。
そんな原体験が、自分にギルドハウス十日町を作らせたんでしょうか。
かな入力がしだいに軽やかに、楽しく、それでいて気持ちがゆるやかに打てるようになるのを感じながら、ふとそんなことを思いました。
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