じぶんがイベントを開催しないわけ。
《新蕎麦》を手打ちして味わう、地域のイベントにおじゃましてきました。
聞くところによると、そのイベントは十数年も続いていますが最初のころは蕎麦打ちさえ満足に出来なかったそう。それがいまや、ふだんなかなか顔を見せないご近所さんもこのときばかりは集まって、地域コミュニティにとって貴重な恒例行事のひとつになっていると感じました。
さて、じぶんは3年以上かけて全国の交流の場を旅したなかで、たくさんのイベントを見たり聞いたりしてきました。数百人規模のイベントがあれば、逆に10人未満の小さな企画もあったり、さまざまでした。
そうした体験を重ねていくたびに、じぶんの考えるイベントというものが本質的に変わっていったように感じます。
そのあげくに、わが家である「ギルドハウス十日町」を立ち上げてからは、ほとんどと言っていいほどイベントを主催しなくなりました。
というのも、いままで見てきたさまざまなイベントの要素をギルドハウス十日町での《日常》に落とし込んでいったからです。
たとえば毎日の食卓「ギルド飯」ですね。ほかに、みんなでやる薪割りや雪おろしもそうですし、ふだんから旅人が突然やってくるのもそう。茶の間やウッドデッキで急きょ始まるパーティーにいたるまで、それら日常の出来事がじぶんにとってのイベントと言えます。
なにも予定がないようでいて、なんだかんだ日常的に何かが起きる場。
《ひとが集う場》でいろんなイベントを企画したり参加してきたひとならば、ギルドハウス十日町での日常がそれらの要素を自然に取り込んでいるのに気づけるかもしれません。日常のひとつひとつは小さいかもしれないけれど、いわゆる『弱いつながり』だけでなく家族同然とも言える関係性が芽生えていくのを感じ取れるかもしれません。
なにかの務めであればイベントを企画しつづけるのもありでしょうが、日常の出来事として落とし込んでいくということ、そのほうが無理なく自然体で刺激的な場づくりにつながると思っています。
そしてなによりも《ゆとり》が生まれます。
そのゆとりある空間のなかで、ここに集うみんなが自由に内外でイベントを立ち上げたり参加するようになります。
そういえば3週間後、東京で、ギルドハウス十日町の住人たちが企画したイベントにお呼ばれされています。じぶんは主催しないけど、その分できたゆとりのおかげで前後の日程に楽しみな予定が入りましたし、そのイベントでもたくさんの学びが得られることでしょう。
そうそう。学びといえば。
学校、つまり「school」の語源は《余暇、ひま》だったそうですね。
みなさんはこの語源の意味をどう捉えますか?
いよいよ2017年も最後の月、12月を迎えます。
師走と呼ばれるほど忙しい月とされていますが、これからも年越し蕎麦のように細く長く、ゆとりやひまに入り込む豊かな日常を楽しみ、そして学んでいきたいものです。
よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。