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男も楽しめる、女の子のためのエッチ番組『ギルガメッシュないと』ってどんな番組?
『ギルガメッシュないと』は、1980年代から深夜のコンプライアンスが厳しくなった状況の中でテレビ東京が女性視聴者をターゲット(1960年代後半生まれのバブル世代~1970年代前半生まれの団塊ジュニア世代がリアルタイム世代に当たる)として製作・放送した深夜のバラエティ番組である。テレビ東京は1985年に「夜はエキサイティング」を終了させて以降、約6年間に渡り深夜のお色気番組は自粛していた(その間は再放送枠として映画の再放送をしていた)が、女性向けのお色気番組として深夜のお色気路線を復活させた。
⬛1990年代は女性の社会進出や女性の活躍が進んだ時代
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1980年代から1990年代にかけて男女雇用機会均等法や女性の社会進出が進み、芸能界でも女性アイドルブーム(女性アイドル黄金期)・女子プロレスブーム・女子大生ブーム・女子高生ブーム・美少女ブーム・女子アナブーム・ヘアヌードブームなどに加え、イエローキャブをはじめとするグラビアアイドル、AV女優、女性AV監督、女性芸人、キャンペンガール、ガールズバンド、地下アイドル、歌姫 = ディーヴァと呼ばれる女性ソロ歌手、バラドルといった女性有名人のジャンルや人口が激増する。それまでは男性優位の世の中でテレビに出演して人気を得ている有名人(俳優、歌手、タレント)たちや芸能界も男性が中心であることが多く、深夜番組も成人男性をターゲットにしたものが主流だったが、80年代中盤以降は女性の活躍が目立つようになっていく。そのような当時の世相を反映して、深夜番組も男性だけでなく女性にもウケるような(女性視聴者をターゲットにした)内容を放送しなければ人気を維持することが困難な時代となった。
⬛1990年代は、お色気番組→アダルトビデオへの転換期
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1980年代後半以降、深夜番組の過激化が社会問題となり、深夜放送のコンプライアンス(自主規制)が強化される。このため、お色気番組は視聴率を落とし、人気が低迷。男性視聴者がお色気番組のターゲット層から外れることになる(お色気番組を好む風潮が崩れ、テレビを見ない時代となる)。その代替材としてビデオデッキが普及し、アダルトビデオが成人男性層から人気を博す状況が続く。お色気番組の人気が低迷している中、1本1万5000円のアダルトビデオが何千本、何万本と爆売れしていた。またそれと並行してテレビで裸になるよりも、アダルトビデオに出演したいという女性も増加する。ギルガメッシュNIGHTにレギュラー出演していた女優の水谷ケイによるとAV女優や女性タレントたちの番組出演時のギャラは1万〜3万円程度だったという。深夜番組に出演して数万円、AVに出演すれば数百万円、女性側から見ればAVの方が確実に稼げる。1980年代後半〜1990年代にかけてAV女優の数が急激に増えたのはこれが原因である。
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当初は、お色気および女性の裸体が一切出てこない真面目な内容でテレビ朝日のトゥナイトのような情報番組を目指していたが、視聴率は0%台(0.3%〜0.5%)と伸び悩み、放送開始から1年間は全国ネットではなかったこともあって人気を得られなかった。そこで当時のテレビ東京はスタッフを変更することなり、新たなスタッフによって「この番組からグラビアアイドルをブレイクさせる」というテーマを掲げてお色気路線へシフトした。
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「グラビアアイドルをテレビでブレイクさせる」というスター創りを試み、岩本恭生にグラビアアイドルの細川ふみえを司会に起用。細川ふみえは番組のレギュラーになる前、初回放送にゲストとして出演していた。さらに、これまでのレギュラーコーナーを全廃し、なぎら健壱と裸エプロン姿の野坂なつみによる「夜食ばんざい」や、グラビアアイドルたちがボディコンで鉄棒競技などのスポーツをする企画などがスタートし、お色気番組というイメージが定着した。
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そして1992年に入り、飯島 愛が発掘され、細川の降板後に司会に昇格する。同年10月には全国ネット放送が開始されたことで若い女性視聴者から大きな支持を受けて人気番組となった。女性視聴者の間では特に「青春フォトグラフ」・「ギルガメ治療院」・「ランジェリー歌謡祭」・「ランジェリーファッションショー」・「ギルガメ写真館」といったコーナーが人気で、温泉・エステなどのロケ企画も貴重な情報源として好評だった。一般的にはお色気番組のイメージが強かった一方で、番組の出演者たちの中にはお色気や下ネタが苦手な者もいたという。イジリー岡田、木内あきら、鶴久政治などが代表的に拳げられる。イジリー岡田は、萩本欽一やチャールズ・チャップリンのような"温かいお笑い"を志向し、後輩には「下ネタとか、裸になって笑いを取るのは卑怯だ。オレは一生下ネタなんて認めないし、やらない」と下ネタ嫌いを公言していたほどで、アダルトビデオなども普段は全く観ないタイプだった。そのため、ギルガメッシュNIGHTに出演していた当時は下ネタへの抵抗が大きく、心中複雑だったという。1995年から1996年まで司会を務めた木内あきらは、所属事務所から番組の映画コーナーの面接に行けと言われ、オーディションへ行くと突然プロデューサーから「君、司会やって」と言われ、司会に起用されることになった。2023年のギルガメ同窓会に参加した木内によると「当時、エロいことがすごく苦手な時期だったから、あんな番組には出たくない」と反対したが、事務所の社長や番組のプロデューサーは「お前がエロいことをするんじゃないからいいんだよ」と説得されたという。鶴久政治は、7代目の司会を務めたが、本人はお色気や下ネタが苦手であることを明かしている。
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◼️このギルガメッシュNIGHTは、放送終了後も『ギルガメッシュLIGHT』、『ギルガメッシュFIGHT』、『オオギリッシュNIGHT』といった復活番組・新たな作品・パロディなどが制作されており、オリジナルグッズも販売されるなど現在でも知名度は衰えていない。