DSPメディアが送り出した4人組ガールズグループ『Fin.K.L.』について
『Fin.K.L.』は、1998年にDSPメディアからデビューした女性アイドルグループ。DSPメディア(当時:大成企画)が女性デュオのCOCOに続いて企画した女性グループでSMエンタテインメント所属のS.E.Sと共に第1世代のアイドルグループとして活躍した。グループ名は、『自由を殺すものを終わらせる』という意味の「Fine Killing Liberty」の略から名付けられた。
大成企画は、ボーイズグループのSechsKiesを成功させた後、ガールズグループを計画する。当初は、アメリカのガール・グループTLCをベンチマークし、オク・ジュヒョン、イ・ジン、ソン・ユリの3人組体制で結成された。しかし、1997年11月にSMエンタテインメント所属の3人組女性グループS.E.Sがデビューしたことによって、急遽4人組に再編成することになった(4人組のS.E.Sというコンセプトで売り出すことにした)。そこで本来は他の企画会社からデビューする予定だったイ・ヒョリが大成企画のイ・ホヨン社長にスカウトされ、デビュー1ヶ月前にFin.K.L.のメンバーに合流した。イ・ヒョリはもともとワールドミュージックでガールズヒップホップグループ「アップタウン・ガールズ」を結成したが、事情によりデビューが白紙となり、その後ワールドミュージックの練習生だったイ・ジヘ(後にS♯arpのメンバーとなる)、キム・ドンワン(後にSHINHWAのメンバーになる)、MCモンと共に4人組の混成グループを結成し、デビューの準備をしていた際に大成企画からスカウトされ、移籍した。
現在のK-POPアイドルグループとは異なり、Fin.K.L.はトレーニング期間が短く、ボイストレーニングやレッスンなどもあまりしないままデビューした(同事務所所属のSechsKiesも同様)。オク・ジュヒョンが学生時代に声楽専攻だったため、他のメンバーにボイスレッスンを伝授していた。1998年5月、1集のタイトル曲「Blue Rain」でデビュー。他の女性グループとの差別化のためにR&Bグループというイメージを強く打ち出し、清純な美貌とミュージックビデオが人気を得ながらブレイクする。
その後も「涙悲」、「私のボーイフレンド」、「Now」、「永遠の愛」などのヒット曲を多く発表し、国民的アイドルグループとしての地位を確立した。楽曲ごとに清純さ・可愛さ・成熟さ・セクシーさといった毎回異なるコンセプトを見せた。イ・ヒョリはソロ歌手、そして芸能でもエンターテイナーとして活動するようになり、オク・ジュヒョンはミュージカル女優、イ・ジンは司会者・女優、ソン・ユリは女優などメンバーそれぞれが様々な分野で活躍して成功を遂げた。