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沖縄アクターズスクールから飛び出した4人の少年グループ『DA PUMP』

DA PUMP』は、1996年11月に沖縄アクターズスクールで結成され、1997年の6月にデビューした男性アイドルグループ(日本ではB級アイドルのポジションに位置する)。芸能会社からのスカウトやオーディションなどで選抜されたメンバーではなく、養成所に通っていた男子生徒たちによって結成されたアイドルグループだった。当初は、真田さんという作曲家がDA PUMPのプロデューサーを担当した。オリジナル曲が数曲提供され、レコーディングも終えていた。また先輩の安室奈美恵やMAXのようにユーロビートの楽曲でもレコーディングしたり、ダンスの振り付けを試したことがあったという。しかし、グループのコンセプトと音楽性が合致せず、メンバーたちの反応も良くなかったため、急遽プロデューサーを変更することになった。そこでライジングプロダクションの平 哲夫社長の判断によって推薦されたのがm.c.A・T(富樫明生)だった。デビュー以後、2002年までの約5年間はm.c.A・Tが楽曲プロデュースを務めた。

1997年5月、4人時代のDA PUMP / デビュー1ヶ月前の姿

デビュー前からテレビ出演やZeppツアーを行うなど人気を集め、さらにメンバーたちの優れた歌、ダンス、ルックスなども注目を集めた。結成当初の沖縄で活動していた頃は「KOOZ」や「Billy The Kids」というユニット名だったが、沖縄アクターズスクールを卒業した後(上京後)、1997年3月~4月に「DA PUMP」というグループ名に改名する。2022年のインスタライブでISSAが明かした所によるとDA PUMPという名前になる前、グループ名の候補に覚えやすいからという理由で「The Rockets(ザ・ロケッツ)」という名前も挙がっていたという。その後、「THE JUMP」という名前が付いて、それを変換したものが現在のユニット名になったとのこと。

デビュー当初からテレビ番組には引っ張り蛸だったDA PUMP

最初からオリジナル曲で売り出すよりも同じavexレーベルのm.c.A・Tのネームバリューを借りる形で出た方が人気が出るだろうと判断された結果、1997年6月、シングル「Feelin' Good -It's PARADISE-」(m.c.A・Tのカバー曲)でデビューした。カップリング曲「17guyz」では対照的にオリジナル楽曲となっている(DA PUMPとしては初のオリジナル曲)。デビュー後、1週間~1ヶ月で多くのテレビ番組、音楽番組に出演するなどメディア出演にはかなり恵まれ、高待遇を受けた。

ミュージックステーション初登場でジャニーズグループのメンバーと共演

デビュー当初は当時、人気絶頂だったジャニーズ事務所所属のSMAPの対抗馬として活躍。1stシングル『Feelin' Good -It's PARADISE-』(1997年6月 ‐ 8月)のときだけでも「ASAYAN」・「夜もヒッパレ」・「速報!歌の大辞テン」・「THE 夜もヒッパレ」・「ミュージックステーション」・「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」・「うたばん」・「ポップジャム」・「志村X」・「スーパーJOCKEY」・「daiba:ba」などの番組に出演している。

1997年6月、TBSの音楽番組『COUNT DOWN TV』に出演

「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」「速報!歌の大辞テン」「スーパージョッキー」などのテレビ番組には新曲を出すたびに毎回出演しており、特に「HEY!HEY!HEY!」は1997年の初登場から2004年まで常連ゲスト(男性アイドル)であった。以後、2枚目のシングル「Love Is The Final Liberty」のスマッシュヒットと5枚目のシングル「Rhapsody in Blue」の好調によって全盛期を迎える。歌手活動だけでなく、バラエティ・ドラマ・CM・ラジオ・ソロ・映画など多方面での活躍をして1990年代後半から2000年代前半にかけて人気を博した。

DA PUMP初のベストアルバム『Da Best of Da Pump』

2000年に発売された12枚目のシングル「if…」以降は、全盛期が落ち着き、徐々に人気が低迷していくが、デビューから3年9か月を経て2001年に発売された初のベストアルバム『Da Best of Da Pump』が128万枚を売り上げ、ミリオンセラーとなった。このアルバムは第16回日本ゴールドディスク大賞を受賞した(ちなみにこのときはライバル構図だったSMAPのベストアルバム「Smap Vest」も受賞している)。

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