懐かしいお色気番組について
2016年からテレビ東京で放送されている『じっくり聞いタロウ〜スター近況(秘)報告〜』という番組がある。2024年10月31日の放送回で過去のお色気番組を紹介する場面があった。現在でもお色気番組は存在しており、女性の裸も放送禁止ではないため、番組や放送局によってはヌードシーンまたはお色気場面が放送されることもある。アダルトビデオにも男性向けと女性向けがあるように、お色気番組にも男性向けの番組と女性向けの番組が存在します。
ではここでもう一度、お色気番組についておさらいしておきましょう。
◎テレビ番組でよく使われる言葉
●コンプライアンス(自主規制)
簡単に言えば『テレビの教科書』。テレビにはこんなルールがあって、こんな決まりがあります。ちゃんとルールを守ってテレビを放送していれば何か問題になったときにすぐ対応できるし、安心でしょ。という事を言いたいだけで、番組を終了させたり、放送禁止にしたりすることが目的ではない。
●今では放送できない / 今では考えられない
テレビ番組で昔のバラエティやドラマの映像が紹介されるときに必ず出てくる言葉。このように言われている番組はだいたい現在でも放送できるものが大半であり、そもそもそのVTRが今のテレビで流れている時点で放送出来ている証拠。また実際に放送できるかどうかは別としても、番組内容がどんなに過激だったとしても人間である以上、今でも考えることは出来る。
●お色気またはヌード
地上波放送において『裸』は放送禁止ではない。ちゃんとテレビのルール守った上で、自主規制の範囲内で女性の裸を放送することには特に問題になりません。女性の裸を放送したからといってテレビ局が倒産する、テレビが放送できなくなるということはあり得ないので現在でも男女共に裸は放送できる。
■バラエティとドラマのお色気シーンは基準が異なる
★バラエティ番組で女性の裸を放送すると「性を売り物や笑いモノにしている」・「性をふざけて扱っている」といったようにドラマ等に比べて批判の対象になりやすいという実情がある。現在ではインターネット上においてアダルトコンテンツ(女性の裸)が飽和状態となっており、ユーザーは自然とそちらに流れていくため、テレビでのお色気ジャンルにはスポンサーが付かず、収益に繋がらない等の理由もある。また近年では男性の裸も批判される事例が増えている。
★ドラマや映画では、芸術性や露出の必然性を認めて物語・ストーリー上の展開として必要といった判断であえて自粛せずヌードシーンがそのまま放送される場合がある。2023年現在でもテレビ東京の『午後のロードショー』や過去の時代劇・映画作品の再放送などでもテレビ局や番組、または放送内容や時間帯によってはあえて隠さないで放送されていることもある。放送基準も各テレビ局ごとにそれぞれ異なるため、例えばフジテレビではヌードシーンをカットするようにしているが、テレビ東京ではそのままヌードシーンが放送されているといった状況もあったりします。
■お色気番組 誕生の経緯
終戦後、日本は男性優位の世の中でした。これは戦前~戦時中、戦争に行くのは男性だったため、男は外で戦う→男は外に出る→男は外で働くといったように徐々に価値観が変化したことが理由として挙げられる。そして戦後の頃になると欧米の影響を受けて男は仕事、女は家庭という性別役割分担をベースがテレビの普及と共に日本にも入ってきます。一方で女性はまだ社会に進出している人が少なく、男性から生活費(給料・お小遣い)を貰いながら主婦業を遣り繰りしていた。このように当時の女性たち(現在の70代以上)は男性の補佐的な役割をすることが求められていたので女性は男性に従い、逆らえなかった時代だった。男は外でお金を稼いできてくれる存在なので一般的にも『父親は偉い』、『男性を尊敬する』といった風潮が強かった。またテレビのチャンネル権も男性・父親が持っていました。このような時代背景から昭和のテレビ局およびマスコミは、男性が働き、経済を回す = 男が財布の紐を握っている = 成人男性をターゲットに商売する = 男性向けのテレビ番組や商品を売り出せば儲かると考えたわけです。男性は昼間は働き、夜遅くに帰宅するため、当時の成人男性たちは夜間帯しかテレビを見る時間が無かったのです。男性が帰宅するのは夜 = 夜になると男性視聴者が増える = 男性が興味を引くジャンル、それが「お色気」だったのです。
■テレビの自主規制 / 放送基準(現:コンプライアンス)
・1958年、地上波における放送基準が制定される。
※1958年(昭和33年)度の地上波の放送基準は以下の通りである。
- ジャンル:性的内容、お色気などの自主規制 -
1.不快な感じをいだかせるような下品・卑わいな表現や言葉は使わない。
2.性犯罪・変態性欲などの取り扱いは避ける。
3.性心理に関する描写または表現は、性に未成熟な視聴者を考慮して慎重に取り扱う。扇情的な接吻や抱擁 、暗示的な姿態や身振りは、出来るだけ避ける。
4.肉体描写、寝室描写など官能的な素材を取り扱うときには、刺激的な表現を避ける。
5.踊手・俳優その他の出演者の動作・舞踊・姿勢・位置などによって卑わい感を起させないように注意する。
6.全裸はたとえシルエットでも避ける。
7.肢体細部の露出または肢体細部をみだりに強調するようなカメラ角度は避ける。
8.以上の放送基準は映画番組にも適用する。特に児童・少年に対する影響を考慮して、素材の選択、および放送時刻に留意する。
※当時は娯楽番組と呼称されており、これらの項目を厳守して番組を制作しなければならないとされていた。
・1969年、「放送番組向上委員会」が設置される。これが現在のBPO(放送倫理・番組向上機構)の前身に当たり、BPOは1960年代から存在していた。
※1950年代~1970年代は現在よりもバラエティ番組や深夜番組の規制が厳しかった時代であり、性を扱う娯楽番組への風当たりも強かった。1950年代後半にはテレビの普及を受けて「低俗番組」批判が起こり、それとともに放送制度の見直し論が広がった。
■お色気番組が規制されたのはいつから?
お色気番組へのコンプライアンスは1960年代から郵政省(現:総務省)をはじめ、PTA(日本PTA全国協議会)、国会(衆議院予算委員会)などからも問題視されており、青少年不良防止の為の低俗番組追放といった表現の自主規制介入が行われていた。特にPTAの場合は、1960年代〜1980年代頃にかけて今と比べ物にならないほどの大きな影響力を持っていた(1990年代以降は影響力が低下する)。1970年~2000年代のテレビを作っていたテレビ業界の関係者、スタッフ、制作陣、プロデューサーたちも当時の地上波に自主規制やコンプライアンスが存在していたことを知らない人も多い。
■1970年代
●国会では「11PM」や「23時ショー」などの番組が批判され、議論される。その後、放送倫理・番組向上機構 = BPO(当時は放送番組向上委員会という名称)から各テレビ局に意見提言がなされた。
●1971年、広瀬正雄郵政大臣は放送法の番組準則に「暴力とかあるいはわいせつとかいうことを掲げておきますと、放送事業者の反省がもう少し具体的になってくるのじゃないだろうか」と苛立ちを見せた。
●1972年、『11PM』といった深夜番組のお色気路線 について衆議院逓信委員会の放送に関する小委員会に放送番組向上委員長ら参考人4名が招致され、議論が行われた。
●1975年、当時日本共産党に所属していた政治家の宮本顕治が『11PM』、・『独占!男の時間』に代表される女性の裸体を売りにした番組が多いという現状に憤り「今の商業テレビ界には女性を軽視した番組、ポルノ番組が満ち溢れている」と批判し、この発言をきっかけにお色気番組追放運動が展開された。
■1980年代
●1985年、当時内閣総理大臣を務めていた中曽根康弘首相が性風俗店の摘発やお色気番組の規制に力を入れた。中曽根首相は、国会答弁で「まず当面は、郵政省が監督権を持っておるわけでございますから、郵政省の側においてよく民放の諸君とも話をしてもらって、そしていやが上にも自粛してもらうし、その実を上げてもらう。郵政省としてはそれをよくチェックして見て、そして繰り返さないようにこれに警告を発するなり、しかるべき措置をやらしたいと思います」と述べ、その後のお色気番組の自粛の遠因になった。以後、各テレビ局は1990年代に入るまでの数年間、『脱・お色気対策』として深夜のお色気番組を自粛する状況となった。
■1990年代
この時代は主に女性向けの深夜番組が台頭した時期である。それまでの深夜のお色気路線は、主に成人男性をターゲットにした番組が主流だったが、1980年代半ばごろから男女雇用機会均等法や女性の社会進出が進むなど、戦後の頃から続いていた『父親のチャンネル権』・『男性を尊敬する』・『父親は偉い』といった価値観が徐々に崩れていった。また給料が現金から銀行振り込みになったことで男性から生活費をもらって主婦業をするといったそれまでの女性たちの生活パターンも変化した(男性からお金を貰わなくても女性が自ら外に出てお金を稼ぐ時代になった)。そのため、仕事から帰宅した若い女性層も深夜番組を視聴する傾向が増加していた。一方で男性層はこの時期、アダルトビデオ(レンタルビデオ)、アニメ、テレビゲーム、パーソナルコンピュータといったオタク・マニアック層が形成され、趣味嗜好も細胞化、分散化(テレビとは違うコンテンツに移行)する状況となる。1980年代後半以降、深夜番組のチャンネル権は主に10代後半~30代の女性層が握るようになり、このため民放各局の制作陣たちも女性が強くなり、世相にマッチした成人女性をターゲットとした深夜番組を制作するようになる。
1991年にテレビ東京で放送がスタートした『ギルガメッシュNIGHT』は、最初から20代~30代の若い女性視聴者に見てもらいたいというコンセプトで製作され、しばらく休止状態に陥っていた深夜のお色気路線を復活させた。この影響を受けて民放各局も女性視聴者をターゲットとした「トゥナイト2」、「ロバの耳そうじ」、「BiKiNi」、「アルテミッシュNIGHT」、「ワンダフル」といった類似番組を放送するようになった。
■まとめ
お色気番組は、1950年代~1980年代までは男性視聴者向け、1990年代~2000年代までは女性視聴者向け、そして2010年代~2020年代はコア層向けと区別することができます。