H.O.Tの対抗馬だったボーイズグループ『SechsKies』について。
『SechsKies』は、1997年にデビューした韓国の男性アイドルグループである。1990年代後半に活躍し、6人組という大人数であることや2グループ制を取る構成はアイドルユニットの先駆けであり、大衆に分かりやすい楽曲を発表しながら第1世代のボーイズグループ人気を牽引した。日本の男性アイドルグループV6を模倣したと言われているが、それは誤りである。本来、DSPメディアは『6人組のH.O.Tをデビューさせる』というコンセプトの下でジェックスキスを作った(H.O.Tを模倣した)。ライバル構図だったSMエンタテイメントのH.O.Tは主に10代の女性ファンが中心だったのに対してSechsKiesは女性だけでなく若い男性ファンも多く獲得した。デビュー当初からバラエティ番組にも出演し、メンバー全員が映画、ミュージカルにも出演し、キャラクター商品なども発売されたことがある。
■結成
1996年、DSPメディア(当時は大成企画)は2人組のボーイズデュオであるIDOLをデビューさせた後、新しい2人組のアイドルデュオを売り出すことにする。当時ウン・ジウォンとカン・ソンフンはハワイに留学中だったが、ハワイを訪れたDSPの社長イ・ホヨンとウン・ギョンピョ(プロデューサー、ジェクスキスの名づけの親)がウン・ジウォンのバイト先のクラブ社長に男性デュオを作る計画があると相談を持ち掛けた。そこで紹介されたウン・ジウォンとカン・ソンフンにその場でオーディションを行い、歌手デビューをオファーしたという。二人は韓国に帰国し、DSPの研修生としてデュオでのデビューの準備をしていたが、その間にSMエンタテインメント所属の5人組の男性アイドルグループH.O.T.が大人気を得る。この状況に触発されたイ・ホヨン社長は「2人では足りない!向こうが5人ならこっちは6人組のグループをデビューさせなければダメだっ!」と判断してデュオからアイドルグループへ変更した。急遽、追加メンバーオーディションを行うことになったが、このときにカン・ソンフンは突然デュオから6人組に流れが変わってしまったために「それならば僕は辞める」と反発したが、社長から「君が了承した人をメンバーとして入れるから」と提案され、カン・ソンフンはオーディションでは社長の隣でメンバーを選んだ。結果的にイ・ジェジン、キム・ジェドク、チャン・スウォン、コ・ジヨンの4人が合流し、SechsKiesが結成された。
■ブラックキスとホワイトキス
「ブラックキス」のメンバーはウン・ジウォン、イ・ジェジン、キム・ジェドク。「ホワイトキス」のメンバーはカン・ソンフン、コ・ジヨン、チャン・スウォン。イ・ジェジンが2016年に開催されたSECHSKIES CONERT-YELLOW NOTE(復帰後初のコンサート)のMCで「日本のアイドルグループV6がメンバーの年齢によってトニセン(年長組)とカミセン(年少組)でユニットコンセプトを分けている事からヒントを得ました」と発言したが、こちらはイ・ジェジン本人が日本文化に関心があり、自身がV6のことを知っていたというのをネタにしただけで信憑性がない。本来、ブラックキスとホワイトキスの2つに分けたのは『練習生時代、歌やダンスなどレッスンをしていたとき、休憩時間の際に6人のメンバーがちょうど3人ずつに分かれて座っていた(休憩を取っていた)ことがあり、そのときに自然な流れでブラックチームとホワイトチームに分けてみようという話になったことがきっかけで、H.O.Tとの差別化も意識して2グループ制にした』とデビュー当時にウン・ジウォンがテレビ番組で明かした。
また、デビュー当初はブラックキスは黒やダークカラーの衣装、ホワイトキスは白、またはブライトカラーの衣装を着る等コンセプトとパートを明確に分けていたが、後期にはメンバー全員が統一された衣装を着る事が多くなった。さらにK-POPで最初のユニットとして見る事も出来るが、ユニットとしての実質的な活動はなかった。以後、ユニットとして初めて活動した韓国の男性アイドルグループはSechsKiesの登場から数ヶ月後(1997年末)にベートーベンミュージックからデビューした8人組のO.P.P.Aが試みることになる。
■「韓国のV6」
日本のアイドルグループV6に似ているという意見があるが、実際はあまり関係性がない。「6人組のアイドルグループ」・「2グループ制をとっている」・「1990年代後半に人気を得た」といった点は似ているが、グループのコンセプト、音楽面、方向性、ファッション、振り付け、舞台でのパフォーマンス、活動方式など全体的に見た場合、V6と共通する部分がほとんどない。さらに韓国版のV6と言われていたとの意見もあるが、こちらも誤りである。H.O.Tは日本のテレビ番組で「韓国版SMAP」と紹介されたことがあり、また中国圏で販売されたCDのジャケットには「韓国SMAP」と表記されるなどの名残があるが、SechsKiesが活動していた当時に「韓国のV6」と呼ばれたことは一度もない。ジェックキスが実際にベンチマークしたのはSMエンタテイメントのH.O.Tであり(第2のH.O.Tを狙って / DSP版のH.O.Tとして売り出した)、逆に日本のV6を直接ベンチマークしたのはミュージックファクトリーエンターテインメントからデビューした5人組のボーイズグループNRGである。
H.O.Tはヒップホップ、ラップ中心の音楽が多かったのに対して、SechsKiesは歌謡曲・トロット・ポンチャックにダンスミュージックを織り交ぜた楽曲が多く、ファンではない一般層にも好評を得た。一方でミュージックビデオに関しては、あまり力を入れてもらえず、事務所の倉庫や公園などで普通に撮影されたものだった。1997年のデビュー以来、3年1ヶ月の活動期間中、正規アルバムと非正規アルバム5枚で約300枚以上の売り上げと、音楽番組や歌謡大賞などで合計39回の1位を受賞した。