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韓国の芸能会社「ハンバッ企画」について
現在、韓国の歌手またはアイドルの芸能会社と言えばSMエンターテインメントやYGエンターテインメント、JYPエンターテインメントなどが有名であるが、K-POPアイドルが誕生する以前の1970年代~1980年代にも有名な芸能会社が存在しました。
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◎韓畑企画とは?
1970年代から1980年代にかけて韓国で多くの歌手を輩出した芸能会社である。主にトロット、バラード、歌謡曲を中心とする歌手が所属していた。中でも特にトロット歌手のテ・ジナ、3人組の音楽グループ・消防車、そして後にDSPメディアの創設者となるイ・ホヨンの存在が知られている。
■代表取締役:ヤン・スングク
■専務理事、マネージャー:イ・ホヨン、キム・テソン
■1990年代中盤、未知レコードという社名に変更
※所属歌手の一覧※
■テ・ジナ
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「韓国の森 進一」
1972年に歌手デビュー、韓畑企画の中で最も有名な歌手で代表曲には「思い出の青い丘」、「愚か者」、「黄色いハンカチ」、「ごめんなさい」、「鏡も見ていない女性」、「バラと傘」などがある。
■ムン・ソンジェ
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1974年デビュー、1982年に発表した「釜山カモメ」が大ヒット。同じアルバムに収録された「踊る小さな少女」も人気を得た。1976年に日本のテレビ番組にも出演したことがある。
■クー・チャンモー
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1985年デビュー、スリムなルックスと柔らかい美声の声で多くの10代少女ファンを獲得し、生まれつきのハイトーンの美声をもとに雨音を適切に活用したスタイルで80年代に人気を博した。
■ユ・ヨル
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1986年デビュー、1980年代の韓国歌謡界では顔が長いことで有名でイ・ムンセ、イ・スマンと共に「馬三トリオ」と呼ばれた。この3人はすべてソウル出身であり、当時MBCラジオDJを務めていたという共通点もある。1990年代初頭まではテレビ番組で活発に活躍したが、1990年代半ば以降はラジオDJやミュージカル活動に転身した。
■シム・シン
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1990年にデビュー、爽やかなルックスと歌唱力で90年代初頭に若い女性たちからアイドル的な人気を獲得した。代表曲「君の悲しみまで愛して」、「ただ一つだけの君」などがある。"ただ一つだけの君"は、もともと同事務所所属の3人組の音楽グループ・消防車のために作られた曲だったという。
■消防車
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チョン・ウォングァン、イ・サンウォン、キム・テヒョン、ド・ゴヌ
1987年にデビュー。当時、主にソロ歌手を輩出していた韓畑企画だったが,
彼らは初の"歌手グループ"として売り出された。事務所の会長を務めていたヤン・スングクと専務理事だったイ・ホヨンが企画及び広報などにおいて製作に参加した。事務所の先輩歌手、クー・チャンモーのバックダンサーチームとして「コスモスの上に蝶が座った」という名前で結成された。その後、社長のヤン・スングクは、3人のバックダンサーを歌謡グループとしてデビューさせることにする。デビュー当時、メンバーの年齢は20代前半(23歳~25歳)であり、現在のK-POPアイドルたちに比べると平均年齢が高かった。
※DSPメディア / イ・ホヨン
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1981年、韓畑企画の社長だったヤン・スングクの誘いをきっかけに芸能マネージメントの世界に入る。韓畑企画では専務理事として働いており、トロット歌手だったテ・ジナのマネージャーを担当。以後、クー・チャンモー、ムン・ソンジェ、ユ・ヨル、シム・シン、消防車などを発掘した。このうち韓国初のアイドル的存在とも呼ばれる"消防車"は企画、広報などにおいてイ・ホヨンが最初に成功を収めた歌手として多くの芸能関係者が認めている。1991年、消防車の成功を見て韓国にもアイドルが浮かぶことができるという確信を持って韓畑企画から独立。自分の住んでいた家を改装して大成企画(DSPメディア)を設立した。その後、ZAM、IDOL、SechsKies、FIN.K.L.、Click-B、SS501、KARAといったアイドルたちを輩出した。