韓国の歌手グループ『夜叉』について
夜叉(トンクナイ)は、1990年代初頭に韓国でアイドル的な人気を得た男性5人組の歌手グループである。ハンバッ企画所属の消防車と同様に現在までのK-POP(またはK-POPアイドル)とは無関係なグループであり、当時の韓国では"アイドル"という言葉が浸透していなかったため、ダンス歌手と呼ばれていた。
1980年代に韓国で大人気を得たヘビーメタルバンド・白頭山のメンバーだったユ・ヒョンサンがバンド解散後、プロデューサーに転身して女性歌手のイ・ジヨンと共に送り出したグループである。所属事務所は、白頭山エンターテインメント。
夜叉のプロデューサーであるユ・ヒョンサンは、白頭山を解散した後、ショービジネスとマネジメントシステムを学ぶために日本を訪問。当時の日本で人気だった南野陽子、工藤静香、少年隊、光GENJI、酒井法子といった日本のアイドルに興味を示し、ライブ公演やイベントなどにも参加しながら、一時期、日本での生活を送り、その後、韓国へ帰国する。
帰国後、1980年代後半から1990年代前半にかけて活動した男女混成グループの"プンスたち"で活動していたジョ・ジンスを中心に5人の男性メンバーが集められ、日本で見た光GENJIの影響を受け、「ローラースケートを履いて踊る」というコンセプトで結成された。グループ名やコンセプトは、リーダーを努めたジョ・ジンスの主張が反映されたもので釜山出身のジョ・ジンスは幼い頃から日本のテレビ番組を見ながら育ったため、それに関連した影響をかなり多く受けた(日本の九州に近い釜山では、長崎や福岡のテレビ番組が電波で流れてきて視聴することが出来た)。ローラースケートのアイドルグループになったのは光GENJIの模倣だけでなく、プンスたちで活動していたときにもローラースケートを履いて踊っていた経験があったからだ。
1990年4月、白頭山の楽曲をアレンジしたカバー曲「焦る心」でデビュー。当時、韓国で人気のあった音楽番組「KBS若者の行進」に登場し、ローラースケートに乗り歌って踊る華やかなパフォーマンスで女子中高生の間で人気を得た。しかし、デビューしてすぐにメンバーたちが兵役義務(韓国の徴兵制度)に入ったため、1集活動終了後にグループは解散した。H.O.Tなどの第1世代アイドルが登場する以前に活躍していた韓国初の5人組のアイドルグループ的な存在と言えるが音楽面、グループのコンセプト、トレーニング期間、海外進出など現在のK-POPアイドルとは大きく異なる部分が多い。日本のアイドルを模倣したものが短期間で人気を得たという印象が強いため、実際は『企画モノユニット』と評価するほうが正確である。夜叉を解散後、リーダーだったジョ・ジンスは兵役義務終了後にDSPメディアへ移籍してZAMというアイドルグループで活躍した。
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