韓国のKris Kross・DSPメディアが送り出したアイドルデュオ『IDOL』について
『IDOL』は、1996年にDSPメディア(当時:大成企画)からデビューした2人組のアイドルデュオ。大成企画の創設者であるイ・ホヨンはハンバッ企画に所属していたときに消防車をプロデュースしており、その頃の日本(消防車のデビュー前後・1980年代)では既にジャニーズやおにゃん子クラブなどアイドルという言葉が浸透していたが、韓国ではアイドルという概念がまだなかった。当時、韓国で人気を得ていたソテジワアイドゥルやDUEXといったグループもアイドルとは呼ばれなかった。メンバーたちも作詞・作曲・ダンスなどセルフプロデュースを行っていたため、ダンス歌手と呼ばれているか、あるいはミュージシャンという認識だった。ソバンチャを手掛けた際に日本のアイドルグループ少年隊をロールモデルとしていたこともあって、日本で使われていたアイドルという単語をそのまま彼らに名付けたという(アイドルという言葉を韓国に広めるために逆輸入した)。
1995年、大成企画より韓国系アメリカ人のチェ・ヒョクジュンと在ブラジル韓国人のイ・セソンで結成。アメリカのティーンラップ・デュオであるKris Krossをベンチマークした。翌年、1996年の1月に1集「Bow Wow」でデビュー。当時の韓国では青少年や大衆に影響を及ぼす芸能活動や放送コードに検閲や規制が多かった。その中で中学生という低年齢メンバー(デビュー時満14歳と満13歳)はタブー破りに近いと見られていたが、その同年代感が若年層のファンを獲得する。SMエンタテインメントよりも先に韓国のアイドルの低年齢化の先鞭をつけたと評価されている。
大成企画は、このIDOLが大人気を得た後、すぐに新たな2人組のアイドルデュオを準備した。それがまさにウン・ジウォンとカン・ソンフンだった。しかし、1996年9月にSMエンタテインメントから同じ10代の5人組グループH.O.Tがデビューしたことにより、大成企画は危機を迎える。IDOLは1996年10月に2集を発表するが、既にH.O.Tが大ブレイクしていたため、大きな人気を得られず、2集活動終了後に解散。そしてウン・ジウォンとカン・ソンフンのヒップホップデュオは、6人組の男性アイドルグループへ変更することになり、SechsKiesとしてデビューすることになった。結果的にこのSechsKiesが大人気を博し、H.O.Tとライバル構図となって第1世代のアイドルブームを盛り上げた。
IDOL解散後、この系統のグループは2000年にJYPエンターテインメントからデビューした双子の小学生アイドルデュオ「リャンヒョンリャンハ」などに受け継がれることになる。