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フジテレビ歴代『お色気番組』の歴史を振り返る

フジテレビのお色気番組の歴史は、1960年代まで遡ることになる。1960年代といえばテレビに対しての風当たりが現在と比べ物にならないほど厳しくてテレビ番組におけるヌードシーン、裸体、乳房露出、シルエットでの性的描写、濡れ場など性的表現が少しあるだけでも問題になっていた時代である。以後、1970年代以降になると一般家庭へテレビが普及するとともに、番組の過激化が進み、地上波におけるコンプライアンスは徐々に強化されていった。。。

BPO(放送倫理・番組向上機構)は1960年代から存在した

地上波における放送基準は1958年に制定され、その後はしばらくラジオとテレビの2本立ての期間が続いていたが、1970年にそれが一本化されて「日本民間放送連盟 放送基準」となった。そして1969年に現在のBPO(放送倫理・番組向上機構)の前身である「放送番組向上委員会」が設立された。1950年代〜1970年代にかけて地上波のコンプライアンス(自主規制)は完成した。

※フジテレビの代表的なお色気番組(番組への批判や自主規制)

ピンクムードショウ

日本初のお色気バラエティ番組として放送された深夜番組

1960年9月18日から1961年12月3日まで放送されていた15分間の深夜番組であり、日本テレビ系列の『11PM』よりも前に放送されていたお色気番組。フジテレビと東宝の共同制作で帝国電波(現・クラリオン)の一社提供。当時の日本は戦時中の「男は戦争に行く = 男は外で戦う」という価値観が残っていた影響で男は外、女は家庭という分業体制をベースとした男性優位の世の中でした。そういった世相を反映して成人男性視聴者向けに大人のお色気ショーをやり、チラリと乳房を見せたりする場面が好評を得ていた。しかし、当時はテレビ番組でのお色気描写が現代の地上波よりも厳しかったため、放送開始当初から「低俗・不適切・卑猥」といった批判が殺到し、4回目の放送からはヌードは自粛され、内容を変更するなどの対策が行われたが結果的に番組は3ヶ月で終了した。お色気番組としては人気を維持できず、成功できなかったため、深夜のお色気として初めて成功を収めた番組は事実上、日本テレビの『11PM』が最初である。

オールナイトフジ

テレビ番組の省エネ対策により自粛されていた深夜番組が復活した1980年代中盤

1973年〜1983年にかけてオイルショックが起こり、その影響を受け省エネ対策としてテレビの深夜放送が自粛されることとなった。その後、自粛措置が解除された1983年以降、民放各局は一斉に深夜番組を復活させるようになる。深夜番組自粛措置が解除された後、フジテレビがヒットさせたのがオールナイトフジである。放送開始当初は、アダルトビデオの紹介コーナーや性風俗店探訪といった性風俗を扱ったコーナーがあったが、放送開始から1年半たった1984年の10月改編で他の民放キー局が、より過激な切り口から性風俗情報などを扱った生番組を一斉にスタートさせたため、これらの裏番組との差別化もあり以後これらの扱いはソフトなものとなった。また1985年初頭には、深夜番組の過激化が社会問題となり、衆議院でも問題として取り上げられ、当時の中曽根内閣が郵政省(現・総務省)を通じて深夜番組自粛を通告する事態となった結果、放送内容を一部変更せざるを得なくなった。各局の裏番組が続々打ち切られる中、番組は1985年3月でいったん終了し、翌週からオールナイトフジIIとして性風俗の話題を入れない純粋なバラエティとして再スタートした。しかし、1980年代後半になると成人男性層からはアダルトビデオが人気を得る状況が続き、深夜番組の自主規制強化や番組の内容や出演者が変わってしまったこともあってマンネリ化が進んだ。最終的にこの番組は1991年3月をもって8年の放送に幕を降ろした。以後、フジテレビは1993年の『殿様のフェロモン』まで2年間、深夜のお色気路線は自粛することになる。

⬛殿様のフェロモン

オールナイトフジ終了から約2年後、再びお色気路線を復活させたフジテレビ

1993年から1994年まで放送された1990年代のフジテレビを代表する深夜番組であり、テレビ東京の女性向け情報番組『ギルガメッシュNIGHT』に対抗して制作された。番組構成やスタジオ配置はオールナイトフジをほぼ踏襲した形となっていた。『快感!ハケ水車が回っているのは誰だ?クイズ』は過激かつ卑猥なコーナーとして当時の話題となり、人気コーナーとなった一方で「下品・低俗・不純・公序良俗に反する」などといった批判が殺到し、物議を晒した。その後、番組自体も打ち切りとなり、5ヶ月程で終了。以後、フジテレビは1997年の『A女E女』まで再び深夜のお色気路線は自粛状態となる。

⬛オールナイトフジ・リターンズ

80年代のオールナイトフジを復活させたオールナイトフジ・リターンズ

1994年4月から9月にかけて約5ヶ月間放送された。前番組『殿様のフェロモン』の後を継ぎ、オールナイトフジ終了からちょうど3年が経った時期に復活したのが当番組である。お色気番組ではなく通常のバラエティ番組として放送されたが、オールナイトフジが人気を博していた1980年代(1983年)とは時代背景が異なり、当時は1990年代(平成)で成人男性が深夜のお色気番組を好む風潮が薄れていたため、人気を得られず短命に終わってしまった。

⬛Mars TV

お笑いとストリップを織り交ぜた深夜バラエティ番組

1994年に放送された深夜のバラエティ番組(本来はお笑い番組に分類される)。当時、同局で人気を得ていた子供番組『ウゴウゴルーガ』の大人版として制作された。お笑い芸人たちによるコントとAV女優たちによるストリップを主軸とした内容で、コント→ストリップ→コント→ストリップというように、ストリップ見たさに最後まで番組を見てしまうように構成されていた。またテレビ放送と並行して「Mars LIVE」というイベントも行われており、テレビ放送と同様にお笑い芸人やミュージシャン、AV女優などが出演し、パフォーマンスを披露していた。ストリップのコーナーでは画面がモザイクで修正されていたものの、ストリッパー(主にAV女優)の局部を画面一杯のアップで映すなど攻めた内容だったが、番組の知名度が低く、あまり人気を得られなかった。全体的に中途半端な内容であり、視聴者からも苦情が相次ぎ、番組は5ヶ月で打ち切りとなった。

⬛朝まで生スポーツ 来て見てさわって恥テレビ

お台場へ移転直後のフジテレビからお色気コーナーも交えた特番を放送

1997年1月2日に放送された特別番組。新宿の河田町からお台場へ移転した記念番組として制作され、スポーツやお色気なども織り交ぜたコーナーが長時間放送された。番組内で行われた『満月なひき』のコーナーではAV女優の陰毛を引っ張り合うといった内容で一部の視聴者からも話題となったが、肝心な下半身が画面には映っていない(映せない)ため、中途半端な結果に終わった。この番組で行われた一部のコーナーは同年のFNS27時間テレビへ継承された。

⬛疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャルXI真夏の27時間ぶっ通しカーニバル 〜REBORN〜(1997年度の27時間テレビ)

朝まで生スポーツ 恥テレビを受け継いだ深夜帯のお色気コーナー(1997年7月26日放送)

フジテレビが新宿区河田町から港区台場に移転してから初めての『FNS27時間テレビ』であり、ダウンタウンとナインティナインが共演したことでも話題となった。同年のお正月に放送された『朝まで生スポーツ 来て見てさわって恥テレビ』から継承した内容が多く、「ブラジャー綱引き」・「障害物競走」などのお色気コーナーも放送されたが、1990年代後半当時は地上波のお色気→アダルトビデオへの転換期の時代だったため、視聴率は11.6%と当時の歴代ワーストを喫した。

⬛A女E女

殿様のフェロモン以来、自粛していたお色気路線を再び復活させたフジテレビ

1997年~1998年まで放送されていた深夜のお色気番組。同時間帯にテレビ東京で放送されていた『ギルガメッシュNIGHT』に対抗すべく制作された深夜番組で「日本一のお下劣バラエティー」を謳っていた。催眠術のコーナーは、日本テレビの『EXテレビ』から派生したものであり(このときも松岡圭祐が参加していた)、その後、『ロバの耳そうじ』で行われ、A女E女で有名になった。回によっては女性の陰毛が見えたり、女性が雰囲気に流されて自慰行為をし始めたりするなどの内容が問題視され、俗悪番組とのレッテルを貼られる結果を招いた。番組は主にF1層(18~34歳)の女性視聴者が多く、ギルガメッシュNIGHTの倍の視聴率を獲得した。男性層よりも女性視聴者が多かった理由として、当時放送されていた『黄金ボキャブラ天国』から飛び出したキャブラーといわれる若手お笑い芸人が人気で若い女性ファンも多く、この番組にも無名ズと呼ばれた若手芸人4組が出演しているので女性の関心を引いたことが理由だとされている。放送開始から3ヶ月後には番組の路線変更(リニューアル)が行われ、視聴者から新企画を募集し、若手芸人のスキーツアーの様子を放送するなどの対策がなされた。もともとこの番組は催眠術というワンパターンな内容に加え、エロ路線を狙っているのか、バラエティ路線を狙っているのか、全体的に中途半端な内容だったため、マンネリ化するのは早かったと思われる。また催眠術師の松岡圭祐も後年のインタビューで「TVで催眠術なんて馬鹿らしい」、「とことん馬鹿をやって、この手の番組を鼻で笑えるようにしたい」と発言しており、決して真面目に受け取られるものにしようとしていたわけではなかった、長く続くような番組ではなかっただろうと語っている。

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