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インスタレーションのルーツとしてのカルダーを再発見する。『カルダー:そよぐ、感じる、日本』(落穂拾いレビュー)

9月上旬に終了したアレクサンダー・カルダー展についても、遅ればせながら記録を残しておく。夏休みの宿題を2学期始まって1カ月半後に提出する気分。

キネティック・アート(動く美術)の創始者カルダーが20世紀を代表する芸術家であるのは論を俟たない。若い頃は職を転々として苦学したが、30代からは売れっ子で、後年も大規模なパブリック・アートで存在感を示し続けた。しかし、彼のようにステレオタイプな「偉大さ」からは距離のあるビッグネームは珍しい。そのことこそが彼の偉大さだったのだ──そんな思いを新たにした展覧会だった。

宙に吊るされた状態のオブジェが、微妙なバランスでそよぐ「モビール」は、確かに独創的な概念だったが、偶然まかせ、自然まかせの要素が効いていて、押しつけがましくない。例えば《Little Yellow Panel》は、糸ひもに括り付けたパネルとフレームが回転することにより、正面から見ているとゆっくりと絵柄が移り変わっていく。玩具や見世物みたいな洒脱さが印象的だ。

《Little Yellow Panel》
これが以下のように変化する

非西洋的、つまり東洋的なものがある。この展覧会では、副題に「そよぐ、感じる、日本」とあるように、彼と日本の関わりが考察されていた。例えば、初期の《Anima Sketching》は、その名の通り動物園で描かれたスケッチで、一筆書きの勢いが日本の墨絵を思い起こさせるのは、衆目の一致するところである。

《Anima Sketching》

《Un effet du japonais》は、和訳すると「日本の影響」「日本的感性」といったところか。キャプションによると、2つのモビールが能舞台における扇の使い方を連想させるとあるが、私にはススキに見えた。いずれにしろ、隙間や虚空に意識を向かわせ、「わびさび」を想起させる。

《Un effet du japonais》

《Black Beast》は、1960年代から70年代にかけて世界中の公共スペースで設置されたモニュメンタルな野外彫刻の先駆けであり、カルダーを象徴する代表作である。獰猛な迫力に満ちているものの、前述した《Un effet du japonais》のデザインがベースにあり、《Anima Sketching》にうかがえる躍動性への無垢な憧れも息づいている。「キモカワイイ」というか、実はチャーミングなのがカルダーらしい。

《Black Beast》

この展覧会で、カルダーが現代アートの「インスタレーション」のルーツのひとつであることをあらためて認識した。彼が映像やパフォーマンスに向かわなかったのは少し不思議でもある。おそらくそれは、彼の心根にペインティングへの拘りがあったからではないか。会場でも展示されていた従来的な油彩画は、ジョアン・ミロの妖気とカンディンスキーの抽象性がミックスしていた。キネティック・アートの範疇にある作品の下描きのようでありながら、ヴァーティカルな重みもはらんでいる。彼は、絵筆を通じたフィジカルな快感と、時空の制約を超えたモビールの軽やかさの狭間で、バランスを取っていたのだと思う。

《Pinwheel and Flow》
アトリエ(というより工房)のカルダー

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