ちょっとディープな京都2024(鷹峯界隈と修学院離宮)
前回投稿した村上隆展以外も、京都を少し周ってきたので、その記録を残しておこうかと。
今回の主な目的は、本阿弥光悦ゆかりの地・鷹峯を巡ること。今年初めにトーハクで開催された『本阿弥光悦の大宇宙』展を観て、あの美意識のルーツをこの目で確かめてみたかったんです。
①常照寺
光悦が土地を寄進して開創された学寮(僧侶の養成所)だそう。だからなのかけっこう素朴。といっても、初めに山門(赤門)が見えてくると一気に雰囲気が出てきます。この山門は、才色兼備の名妓、二代目吉野太夫が寄進したもの。
本堂は、ちょうど法要が始まったので中に入れなかったけれど、辺りでお経が響き渡るのがよかった。ほかに吉野太夫の墓(38で没)や、大丸窓を配した茶席を眺めるなど。
②源光庵
本堂が見ものです。天井は伏見桃山城の遺構で、西暦1600年の戦による討ち死にの跡が残っていて、「血天井」と呼ばれています。
丸窓の「悟りの窓」と角窓の「迷いの窓」が隣り合っているのはいかにも映え。
③光悦寺
なんと参道は撮影禁止でした。100mもない小径だけど、素晴らしく洗練された世界。観光地化されておらず、人っ子一人いない。最高でした。光悦の墓、あと質素な庵がいくつか。景色も含め、一帯で美意識を感じました。
鷹峯地区は、中心地からは北の外れにあり、本当に静か。光悦が徳川家康から土地を与えられたときは、もっと静かだったんだろうと容易に想像できます。
と思ったところ、常勝時のWikipediaにはこういう記載もありました。
えっ、物騒だったのかよ。ひとけがなかったからかもね(強引?)
それはともかく、ここに職人たちを呼び寄せて一大文化コミュニティを形成した光悦は、さらに審美眼を研ぎ澄ませていったのでしょう。
ここで旅の目的は達成しましたが、微妙に時間が余っていたので、かねてからいつか行ってみたいと思っていた修学院離宮にダメモトで電話すると、その日は予約なしで見学可能とのこと。急遽、バスを乗り継いで訪問することになりました。
④修学院離宮
13:30からのツアーに駆け込みセーフ。この日は猛暑で、日傘を差しながら炎天下を歩きました。
道々でもっと写真を撮りたかったけど、傘を差していて面倒なのと、暑さに負けて気力が足りず、あまり撮れ高を稼げなかったのが惜しい…。
ここは上・中・下の離宮に分かれています。
まずは下離宮へ。門をくぐって見えてくるのが寿月観。離宮に着いてまず休憩するための場所だそう。
周りには雰囲気のある庭園があったと思いますが、写真は撮れていません。東門を出ると、比叡山、東山、北山の山並みが一望できます。
そこから松の並木道を南に歩いていって、中離宮。ここの客殿が素晴らしいです。飾り棚は、5枚の棚板が互い違いに組まれて霞のように見えるので、「霞棚」と呼ばれています。
襖の鯉の絵は筆者不明ですが、上に被せた網だけは円山応挙と伝えられているんだって(なんだその微妙な起用は)。しかも、鯉をずっと閉じ込めておくのは忍びないという理由で、ところどころ網が破れているらしい。粋です。
来た道を下離宮まで戻り、そこから次は東に延びる松並木に沿って進みます。
ちなみにこの付近は水田になっています。所有は国だけど、周辺の農家に貸し付けていて、作付けもお願いしているという。そのせいか、洗練の極みのような桂離宮に比べると、少しのどかな雰囲気があって、それもいいですね。
松並木を東に進んだ先が上離宮となります。いきなり急な上り、かつ急カーブの石段があって、探検のムードを醸すのが大胆。登り切った高台からの景色はなかなか良かったです。
そこから北に移動して、茶屋の窮邃亭へ。この建物だけが、ほぼ創建当時のままだそう。
かなり大きな庇(ひさし)があります。ガイドさんによると、眺望をより楽しめるように西日の入りを調整するため、だったかな…あるいは、そのままだと空が広すぎるからトリミングしている、だったかな。ちょっと記憶が定かではないのだけど(なにしろ暑かったので)、風景を愛でるためのこだわりがすごいなと思った記憶はあります。
池をぐるっと一周して、来た道を下離宮方面に戻ってツアー終了。1時間半弱ぐらいでしょうか。とにかく暑かったけど(←しつこい)来れてよかったです。
出口に向かうとき、外国人と思しき面々とすれ違いました。外国人向け(英語)のツアーもあるのかな? Webサイトを見てもよく分からないのだけど、私が参加した回は、おそらく全員日本人だったと思います。
ともあれ、京都はやっぱりいいですね。来るたびに住みたくなってしまいます。