心と身体が自然と繋がるウエルネスツーリズム ーE-bikeで巡る熊野一周「クマイチ」を体験してー
より健康な生活への意識の変化
この1~2年、自身の健康状態の変化に敏感になり、生活習慣や働き方、休日の過ごし方を見つめなおす人も多かったのではないだろうか。身の回りでも、心身の健康に気を配る人が増えているという実感がある。富士山麓エリアでも、キャンプ場の利用率は高まり、E-bike(電動アシスト付きのスポーツ自転車)がレンタルできる場所も増えている。密を避けるため、そして心身の健康のため、屋外での活動や自然へのニーズは確実に高まっている。
四方を海に囲まれ、森林面積も広く、さらに火山大国でもある日本では、全国どこでも豊かな自然と出会える。言い換えれば、「豊かな自然」だけでは人を呼ぶことは難しい。ツアーや自然体験を提供する者にとっても今は、改めてコンテンツの地域性や独自性を再考する契機だろう。
そんな中、和歌山県の吉野熊野国立公園満喫プロジェクトの一つである、クマイチを活用したモニターツアーに参加する機会を得た。クマイチとは、和歌山県南部の熊野地域を反時計回りに1周する総計240kmのサイクリングルートだ。緑豊かな山間から、美しい海岸線や川沿い、世界遺産である熊野三山を網羅しており、自然、文化、歴史と熊野エリアのあらゆる分野の魅力が詰まっている。
もちろん、1回のツアーで全てのルートを走ることはできないので、ルートは3つに分けられ、3シリーズ企画されている。今回はそのうちの1つである第2シリーズのツアーに参加させていただいた。スタート地点は、清流と名高い古座川のエリア。1日平均20kmの距離を進みながら、ところどころ名所に立ち寄り、4日かけてゴール地点の熊野速玉大社を目指す。
E-bikeとクマイチがもたらす新たな非日常体験
サイクリングがメインのツアーで毎日走るとなると、普段自転車に乗る習慣がない人にとっては、体力面や運転スキル面で不安を感じるかもしれない。しかし今回のルートはほとんどが舗装された道で、アップダウンも少なく、なんといってもE-bikeという電動アシストがついた自転車を使用したので、疲れはほとんどなく快適に走ることができた。やわらかい風、ひんやりした風、土のにおいがする風、ほんのり潮の香りが混ざった風と、様々な風のグラデーションを全身で楽しめるだけでも非日常体験だ。また、吉野熊野国立公園は指定されたのが1936年と、80年以上前から自然保護されているとだけあって、サイクリング中に見える山々の風景の中にも植生の豊かさが感じられる。
また、熊野エリアならではの特徴といえば、個性的で多様な巨岩・奇岩の数々だ。田舎ののどかな道を走っていく中で、突如出くわす壮大な風景は圧巻だ。
これだけ数々の巨岩・奇岩が見られるのには、約1400万年前の巨大噴火が影響している。噴火の規模は世界最大級。富士山の噴火より大きかったという。このエリアの巨岩や奇岩はその時にできた火成岩であり、長い年月をかけて侵食や風化を重ねて今の姿になった。紹介したのはほんの一部で、このエリアにはまだまだ特異な巨岩がいたるところで見られ、それらは信仰の対象なったり、それぞれの場所で民話が残っていることもある。今は観光名所としての役割が大きいが、昔は人々の心のよりどころになっていたのだろう。
鯨と熊野信仰
そして、この地を語るのに外せないことと言ったら、鯨と人の歴史や文化だ。特に太地町の鯨の歴史を紐解いていくと、鯨が単なる食材のひとつではなく、この町の文化を育んできた重要な要素だということが伺える。例えば、鯨舟に施された、桜や竹等の植物をモチーフにした色鮮やかな絵。専門家によると、この絵は熊野の独特な宗教的世界観から生まれたものなのだという。熊野ではかつて、南の海の向こうに観音様が住む「補陀落浄土」があると信じられていた。そんな清らかな熊野灘で鯨を殺生することは、仏教的には忌み嫌われる行為であった。船をきらびやかにすることで、鯨にあの世の光景を見せ、成仏を願ったのかもしれないという。
鯨が1頭獲れれば肉や脂が大量に手に入り、地域は潤った。ただ、それには命がけの作業が伴い、多くの人々の連携が必要とされた。人々は豊漁を祈り、そして鯨の恵みに感謝し、そこから唄や踊り、伝統工芸が生まれた。いただくだけで終わるのではなく、鯨の供養塔や墓を建て法要を行ってきた。その歴史の足跡は、太地町のいたるところで見られる。
今でこそ、私たちは全国のあらゆる食材を取り寄せることができるし、海外の食を楽しむこともできる。選択肢が増え、多様になった分、目の前の食事がどこからどんな風にきているかをいちいち把握することは難しい。簡単に手に入れば、感謝する気持ちも薄れてしまいがちだ。太地町の鯨の歴史と文化は、私たちの生活が自然の恵みに支えられ、自然とつながっていることを思い出させてくれる。
自然体験として熊野古道を歩く
3日目と4日目には、E-bikeから降りて熊野古道のガイドウォークも体験した。踏み固められた細い道。いったいどのくらいの人々がこの道を歩いてきたのだろう。何を思い、進んでいたのだろう。わかりやすい地図も、ナビもない時代、きっと、道端の小さなお地蔵様や、木々の間から見える青い海原に心休まる思いだっただろう。風を切る自転車もいいが、ゆっくりと、一歩一歩進むのもいい。思考はそのうち、外から内へと向いていく。自然を味わい、自然と向き合った先に、自分と向き合う時間が生まれる。
時代が進み、科学が進歩し、人間の英知は深まり、変化を予測することもできるようになった。しかし、それでもなお、自然界において予測不能なことは起き続けるし、人間はそれを制御することはできない。「自然との共生」という言葉を様々なところで聞くようになったが、私たちはちゃんとその方向に向かえているだろうか。日本では古来、自然物に神が宿ると考えられ、自然を崇拝した。熊野の、緑深い山々の連なり、滝の轟き、川の清らかさ、青い海の穏やかさと荒々しさーそのすべてに、人々は目には見えない何かを感じていた。熊野信仰の素晴らしいところは、身分や階級、人種や宗教関わらず、どんな人をも受け入れられることだという。熊野の美しく壮大な自然の中に、懐の深さを感じる。世の中の技術が進歩することは重要だが、一方で、生活様式が変わっても、自然を正しく畏れ、いただいたものに感謝をし、“共に”生きていく心も同時に持ち合わせていたい。神様なんて、信じない人もいるだろう。私も信じているわけではない。ただ、旅の最終日、“南の海の向こう”から昇る朝日が、凪いだ海を金色に染めていくのを見たとき、その先に本当に浄土がありそうだと思ってしまった。熊野の自然にはそんな力がある。単に「サイクリングで体を動かしながら観光名所を巡る」という表面的なコンテンツではない、もう一歩深く、心と身体が自然と繋がるウエルネスツーリズムのポテンシャルがこの地にはありそうだ。
(文/小野亜季子)
▼ツアーの様子はこちら
環境省 令和3年度吉野熊野国立公園満喫プロジェクト
クマイチを活用した国立公園利用推進事業
主催:環境省 吉野熊野国立公園
(一社)南紀ウエルネスツーリズム協議会
(一社)紀州くちくまの未来創造機構 上富田サイクルステーションKMICH