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2019夏 陸前高田・奇跡の一本松を見て

目の前には何もない。かつての住宅街が立ち並んでいた風景を一生懸命にイメージしようとしても、それさえ難しい。陸前高田の駅を降りた僕の目に飛び込んできたのは、長く伸びた雑草の生えた空き地がただひたすらに続いている風景でした。

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震災前の町を知らないし、何より初めてこの地に降り立ったのだから、本来なら復興が進んだとか進んでないとかを感じることはできないはずなのだけれど。それでも、至る所で工事が行われている風景を目の前にすれば、失ってしまったものをどうにか取り戻そうとしている、いままさに復興に向かっている真っ最中であることがひしひしと伝わってくるのでした。

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実際にこの地を訪れるのがこれで4回目になる友人に話を聞けば、前回来たときに比べてBRTの経路も変わっていたり、明らかに工事が進んでいたりと、たしかに町が復興に向けて進んでいることを感じているようでした。

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海沿いには津波の被害を受けた「道の駅高田松原」が遺構として残されています。訪れたのは9月5日でしたが、約2週間後の9月22日に「東日本大震災津波伝承館」がこの近くにオープン。あの日なにが起きていたのかを、失ってしまったものの大きさを、被災地が一生懸命に伝えようとしてくれています。いま僕等にできるのは、こうして被災地が教えてくれることをしっかり受け止めること。残念ながら今回はオープン前で伝承館を見学することは叶わなかったけれど、いつか絶対に再訪することを心に決めました。

そして、伝承館のオープンと同時に写真の遺構は“旧”道の駅となり、新たな道の駅が営業を開始。被災地はたしかに復興への道を歩んでいます。復興がまだまだ道半ばであるのは事実かもしれないけど、そう表現するよりは、今まさに復興に向かって被災地の方々は歩みを進めているということを、この地を訪れた者としてみなさんに伝えたいと思います。

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さて、道の駅をあとにして奇跡の一本松に向かいます。前述の伝承館がオープンしてからは簡単にアクセスすることが可能になったようですが、この時はオープン前でしたので気仙川という川の手前まで出てから一本松に向かうルートがとられていました。

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一本だけ流されずに残ったのはたしかに「奇跡」と言うに足ると思うし、実際に被災地も「奇跡の一本松」の名で震災の記憶を伝えようとしているけれど。実際には一本だけ残った凄さよりも、この1本が「奇跡」と呼ばれるようになってしまったこと、周りにあった7万本もの松の木がすべて流されてなくなってしまったことのほうが大切な事実だと思います。奇跡でもなんでもない、松林の中の1本だった木が、ある日突然「奇跡」と呼ばれるようになってしまったのです。奇跡という、どこか輝かしい言葉とは裏腹に、そこにある現実は悲しさに溢れています。

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それでも、被災地の方々がこの木を大切にしていて復興のシンボルになっているのもまた事実です。そう考えてくると「奇跡の一本松」という名には、悲しみを受け止めて先へ進んでいくという、被災地の方々の強い意志が込められているようにも思えます。

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きっと、次にこの地を訪れたときは町の姿も変わっていて、町も、一本松も、また違った見え方をするのではないかと思います。再び陸前高田に行くことができる日まで、遠い場所からではありますが少しでも復興が進むことを願っています。

2019年夏の東北旅行は、もう少しだけ続きます。
同行した友人がブログにまとめていましたので以下に掲載します。


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