ハリル氏電撃解任から学べること
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サッカー日本代表の監督、ハリルホジッチ氏が電撃解任され、大きな議論を呼んだ。
監督交代が吉と出るのか凶と出るのかは本番を待たないとわからないが、抜本的に何かが変わることはないだろう。
一方で、一連の解任劇、およびその説明については、
日本の組織運営の悪しき点が多く盛り込まれているように感じた。
会社を経営する者として、率直に、自分の組織でも同じようなことをしてしまう可能性があると思った。
個人の価値観も多様化し、雇用に対する意識も変わっていく中で、今回の騒動から学ぶべきことは多いように感じた。
◼不明瞭な理由による不明瞭な決定
会見の一部はこうである。
田嶋氏「ワールドカップの出場権を掴んだ後、様々な試合を行ない、そして最終的には一昨日の契約解除という結果になってしまいました。試合に勝った負けた、その他のことだけで監督の更迭を決めているわけではありません。みなさんのご意見があったから決めているわけでもありません。選手や様々な方の意見を聞きましたが、それで決めるわけでもありません」
じゃあ、何なんだろう??
田嶋氏「ただ、マリ戦、ウクライナ戦。この試合の期間と後において、選手たちとの信頼関係が多少薄れてきました。そして、今までの様々なことを総合的に評価して、この結論に至りました。私は1パーセントでも2パーセントでもワールドカップで勝つ可能性を追い求めていきたいと考えています。そのために今回の結論に達し、新しい監督には内部からの昇格しかないと考えました」
うーむ、読めば読むほどわからない。
「1パーセントでも2パーセントでもワールドカップで勝つ可能性を追い求めていきたいと考え」ていたのはハリル氏も同じだろう。
まず、1段落目については、「決めているわけではありません」とあるが、その主語が省略されている。
2段落目については「選手たちとの信頼関係が多少薄れてきました」とあるが、誰がどのように判断したのか? が説明されていない。そもそも信頼関係が薄れたから解任するべきものなのだろうか?
そして「この結論に至りました」というのは、田嶋氏個人の意見なのか、それとも委員会での協議結果なのか? が不明瞭である。
◆
田嶋氏「監督を変えるリスクもありますし、変えないリスクもあります。常にそういうところを議論しながら、誰が監督をやったらいいのかを考えてきました。監督を変えれば必ず良くなるという魔法があるのであれば、その方法を取るかもしれません。変えるリスクもあるので、様々な観点から議論をしてきました」
これも同じで、委員会での協議結果なのか? 誰と誰が議論してきたのか?
田嶋氏「予選を戦っている頃から、ハリルホジッチ監督をサポートすることに変わりはなく、「これからもやるぞ」ということでやってきましたが、最後の最後でそこが変わってしまったということです。監督交代のタイミングとしては遅いんじゃないかというのはありますが、最後までハリルホジッチ監督のチームをグッと固まれるものにしたいと思って3月も努力しましたが、残念ながら実現しませんでした」
「そこ」とは何なのか?
これは単なる記者会見ではなく、説明のための公式で重要な説明の場であるはずだ。
ならば、「誰がどういう責任で決定したのか?」を明確に説明すべきではないだろうか?
この一連の説明にもことごとく主語がない。
そう思ったのは誰なのか?そう決めたのは誰なのか?
未だにハリル氏が憤慨しているのも、このように「決定のプロセス・責任」が曖昧だからではなかろうか。
トップダウンで決めることと、
意思決定の所在を曖昧にすることは、一緒にしてはならないように思う。
特に当事者に対しては、事前の根回しや協議を怠ってはならないのではないだろうか?
(続)
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