【子どもたちから最近感じること】
実習が終わり、普段の日常に戻ってきた。
「自分」の変化を感じつつ、「周り」の課題点を見つける機会が多くなった。
特に今まで関わっていた子どもたちの場所に戻った時に強くそれを感じている。
大きく言えるのは
イライラしてるよなぁ
ってこと。
学校から帰ってきて、大きな声を出して叫んだり、ものを乱雑に扱ったり。
力一杯汚い字で文字を書いたり、宿題の紙やプリントをぐしゃぐしゃにしたり。
それを見て怒ったり注意する大人はなんなのか。
もっと現状を悪くするだけと正直思ってしまう。
だけど、騒がしい子達に迷惑をしている子達もいて、
その子たちのことを考えるとなんとか鎮めないと、とも思ってしまう。
もっと自由で決まりがなくてなんでもできる世界に子どもたちを放ちたい。
という衝動に何度も駆られる。
だって騒ぐほどのパワーと、現状に逆らおうとする意思と、
違和感を体で感じてなんとか打破しようとするエネルギーがあるわけだから。
それを落ち着きがない、騒がしいとラベリングをしてる私を含めた大人たちサイドをどうにかしなきゃいけない。
目の前の子どもたちを見ていると
全然言葉を使わないなぁって思う。
説得したり交渉したり、自分の意思を説明したりする子がほとんどいない。
あと、5分で宿題をするから、今は少しだけ本を読んでもいい?
今日はちょっとやる気が出ないから、漢字は一文字でもいい?
集中したいのにうるさいのが嫌だから隣の部屋でやりたい。
この一言を子どもたちが言わないのは大人のせいだ。
制限してばかりで子どもたちの声を拾って許す場面が少なすぎるから、
子どもたちは交渉したり自分の考えを言葉にして話すことをしなくなっている。
ただ無視する。
ただ騒いだり紙をぐしゃぐしゃにする。
ただ宿題を捨てる。
そんな方法しか子どもたちは持ちあわせていない。
大人が子どもたちの言葉を許してくれ、受け入れてくれる場面をあまりに経験していないのだと思う。
意見を受け入れてもらえないと社会を諦めた人は、
主張することをやめてしまうだろう。
目の前の子どもたちはそんな風に見える。
子どもたちの意見を大人の意見と同じレベルで吸収し採用し一緒に創っていく環境ではだめなのだろうか。
子どもたちを立派に育てているつもりなのかなんなのか、
従わせようとする、制限しようとする大人たちに違和感を感じてしまう。
一緒に育てばいいじゃないか。
問題は一緒に解決したいし、子どもたちの意見を一番に聞きたいし
私たちの持ち合わせていない意見を持ってる柔軟で柔らかい子どもたちに
私からは期待しかない。
子どもは小さい大人なんだ。
もっと一緒に肩組んで歩んでいきたい。
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