虹の学校で感じたこと
大切な気持ちをここに書き残しておきたいという焦りと、全くうまく言葉にならない自分がここにいます。
でも、なんでもいいからここに書き記してみようと思います。
あるがままに。
だから、詳しい説明は後にします。
子どもたち34人と、先生方と、日本人14人で過ごしたあの時間は幻のようでした。すごく長かったのに、気づいたら終わってしまった。
言語が通じないのに、気づいたら心は通じ合っていて、心配する隙もないほどでした。言語って、言葉って全然重要じゃなかったんだ、ということに気づきました。
彼らは「無国籍民」と呼ばれる子どもたちで、国籍がありません。だから親はちゃんとした仕事に就くことができず、家庭は貧困になってしまう。だから子どもたちは「虹の学校」という生活の場であり学びの場である施設に暮らしています。
学校の建物は豪華なものではありませんでした。
でも、とても心地よいものでした。
施設の中にガラスはひとつもなく、みんなが集まる大広間には壁もありません。
雨が降れば雨の音が大きく聞こえ、日が出ればその光が入り、虫も動物も私たちもそこに境目はありませんでした。光と風のよく通る場所でした。
まるで一日中外で過ごしているようで、自然の中にずっと身を置いて、自然や虫や動物たちと壁を作る必要のないあの場所がとても好きでした。
私たちも自然の一部であり、動物の一部であり、この地球の恵みをいただきながら生きている自然なんだと感じることができました。それがすごく嬉しかった。
子どもたちはといえば、遊ぶことがとても上手でした。
食べれる木の実や葉っぱを知り尽くしていました。
葉っぱを使って船を作ったり、笛を作ったり、風車を作ったり。
こすると真っ赤に色が染まる葉っぱや、蜜の甘いお花も。
一番びっくりしたのは、夕飯の後に虫の大群が学校の中の小さな電球に押し寄せ、気づいたら子どもたちはその虫を捕まえて食べ始めたことです。笑
どんどん捕まえては食べていき、私たちの口にどんどん運んできてくれました。笑
虫を生きたまま食べたのは初めてだったけど、確かにちょっと美味しいような、、?子どもたちと同じ世界線で虫を食べられたことが嬉しかったです。
目を瞑って、見えないように食べさせてもらっていたところから、自分で捕まえてそのまま食べられるようになりました。笑
これぞ生きるってことなのかなと思ったり。
子どもたちを見ていて印象的だったのは、勝ち負けにこだわっていないということです。子どもたちがみんなで楽しんでいるスポーツやゲームを見ても、白黒のハッキリしないゲームが多いと感じました。勝つとか負けるとかではなく、楽しいからみんなでやっている。その心持ちがとても素敵だと思いました。
そして、誰かのことを極端に羨んだり、比較して一喜一憂したり、そんな場面が見られなかったことが印象的でした。
相手の持っているものや能力を、いいね、とその価値を素敵だと認めながらも、自分は自分自身に満足している。そんな感覚を彼らからは感じました。
日本の子どもたちと関わるときには、「みんなに平等にしないと不満が出てしまう」と気にかける部分が、全く気にならない10日間でした。
子どもたちの心はすごく満たされているんだと感じました。
物質的なものでも、お金で解決できるわけでもない「豊かさ」が彼らの心の中には宿っていました。
無国籍民の子どもたちは国籍がないので、パスポートを取ることはできません。国外は愚か、カンチャナブリと呼ばれる県の外に出ることですら膨大な手続きが必要になります。
それを不幸と思うのか、かわいそうだと思うのか。
私は正直、彼らの運命を悲しんだり、自分がどうにかしてあげようと考えたり、そんな瞬間はひとつもありませんでした。彼らのありのままが眩しく、ここにある景色がどうか失われませんようにと願っていました。
これも、自分のエゴなんでしょうか。
彼らは私たちよりも圧倒的に本質的で、美しくて、今まさに失われようとしている人間としての豊かさを確かに心に持っていました。
そんな彼らを自分のものさしで測ることよりも、ただその空気の中に飛び込んで一緒に生きることが私には夢のように美しい時間だったんです。
子どもたちには感謝してもしきれません。
先生方は厳しさと愛とユーモアを兼ね備えた、かっこいい大人たちでした。
子どもたちと関わるうえで大切にしていることを聞いてみました。
google翻訳の画面を見せて、タイ語のキーボードを開いて渡すと、
「忍耐と理解の経験」と答えが返ってきました。
それ以上の会話はできなかったけれど、グッと堪える強さと、相手を理解したり理解してもらったりする経験をたくさん心に積むこと。
そんなことなんのかなぁと勝手に推測しています。
子どもたちにとってお手本であり、尊敬の対象であるとともに、一緒に遊び笑い、共に悩む家族のような先生たちでした。
タイ語を習得して、もっともっと話してみたかったです。
そして虹の学校の代表であり校長をされている朋子さん。
最初にひと目見たとき、泣きそうになりました。
そうか、この子どもたちを毎日見守っているのはこの方だったんだと。
まっすぐな笑顔と、子どもたちへの愛情と、どんなことも気づけば楽しんじゃうような軽やかさと、いっさい濁りのない眼差し。
私たちが虹の学校にお邪魔し、子どもたちと少しずつ仲良くなり始めた4日目にオーナーのともこさんが帰って来られました。
子どもたちとの関わり、ともこさんに笑顔で挨拶する子どもたちの姿は眩しかったです。
温かく柔らかい女性でありながら、強い方だと思いました。
本当にかっこいい方でした。今でも、私の中に憧れの気持ちが弾けるように巻き起こっています。
大変お世話になりありがとうございました。
ともこさんが子どもたちに向けていたものは大人勝手な期待ではなく純粋な愛だと思いました。
子どもたちにどうなって欲しい、という未来への思考に引っ張られすぎず、
子どもたちを通して自分を価値づけすることなく、
自然を愛し仲間を大切にする子どもたちの美しい心を壊さないように、と彼らの存在を心からリスペクトしながらも、自分にできることや与えられることを精一杯やる。
まさに、「自然を見守る」ように「子どもを見守る」人だと思いました。
おごらず、尊敬を忘れず、自分にできることをひた向きにやる。
私もそんな大人になりたいです。
そして、14人のキャストたち。
毎朝6時に起きて、子どもたちと過ごし、WSの準備もして、子どもあっちが寝静まった後にキャストだけのワークショップや準備をして。3時や4時まで子どもたちの交換ノートをしたためていた仲間たち。
初めましてのスタートラインから、お互いに心を開きあって、弱い自分を見せ合って、お互いの人生を乗せた10日間だったと思います。
もっともっとみんなの人生の話が聞きたかった。
もっと応援したかったと少し悔しい気持ちもあります。
キャストの中でお互いを信頼して、自分を解放していく過程こそ美しかったと思います。だからこそ、子どもたちに伝えたい思いが生まれ、知らず知らずに伝わっていた思いもあったり。
みんなの心がどんどん柔らかくなって、角がとれて丸くなって、助けてが言えるようになって、でも未だ戦い続けている自分がいて。
そんな、みんなの人生をみました。
人生は誰にとっても難しく険しいものだと。
だからこそ、その人生には美しさがあり、お互いの人生が交差して心を通い合わせる準備ができたとき、そこに大きな愛が生まれて私たちを包んでくれるんだと。
そんな過程を見ることができたような気がします。
副リーダーとして場づくりをさせてもらった立場として、反省や悔しさも多々ありました。そこも改めてまた振り返れたらと思います。
14人の仲間へ。
一緒にこの10日間を生き抜いてくれてありがとうございました。
全開で、全身で、全力なみんなの生き方はカッコよく、だからこそ子どもたちに伝わるものがあったと思っています。
虹の学校に関わるみんなに。
豊かな人生とその一瞬一瞬が訪れますように。
嬉しいことや楽しいことだけでなく、
その豊かさを培う苦しさや逆境と向き合い、戦う深い人生となりますように。
周りにいる人を信じ、何よりも自分を信じる心が失われませんように。
もしもの時のために、私がみんなのことを信じ続けようと思います。
Don't stop believing
私が信じ続けたいものは、単にみんな自身ではなく、
「自分を信じ続けるみんな自身」でした。
そして、ここに確かに私たちが過ごした10日間があり、私たちの心は言語を通じて愛となった確信を大切に信じ続けます。
決して劣っていたり、不運だなんてことはない。
みんなの輝きは本物で、生きているその大地も自然も本物で
何よりも尊いものだと私は思っています。
大自然の中を駆け抜け、笑い尽くす彼らの人生に幸あれ!
” 虹は 虹は 僕らは光だと言う ”