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【千葉市自然の家にプレーパークを作る①】

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先日、千葉市少年自然の家にプレーパークを作る現場にお邪魔させていただいた。
教育学部の学生として、プレーパークを作るという場面に携わりたく参加させていただいたが、子どもの遊びに対する発見以上に大きな収穫があった。
何よりも、自分と分野の全く違った人の意見や話が聞けたことが大きな収穫だった。

今回プレーパークを建設しているのは千葉市少年自然の家の中にあるバーベキュー広場の隣にある森の斜面だ。すでに、木を抜いた一部の斜面が均されており、杭が打たれ全体のイメージが想像できる段階であった。
私たちは、はじめに長い木の板にペンキを塗る作業をおこなった。
その時に、職人の田櫓さんが私たち若者に言った言葉がまずかなり印象的だった。


「ここは全部任せるから、自分たちで話し合って全部やってくれ。
だけどその代わり、最後にダメ出しするからな〜。」


自分たちで自主的に考えて計画的に行動させるための声かけ。その中で、「見てるぞ」という心遣いと厳しく叱ってくれる優しさが全面に感じられた。自分たちでやれと言われた時、子どもは正解を求めてしまいがちだ。大人の考えていることや求められていることを先回りして考え、結局は大人の目指すものに標準を合わせてしまう。これは日本独特の教育が育んだ日本の子どもたちの傾向で、以前読んだ本のなかで実験と共に説明されていた。
だが、その田櫓さんの言葉には自主性をしめつけるような感覚が全くなく、むしろ「最後に教えてあげるから思いっきり失敗してみなさい」といったようなニュアンスに聞こえた。若者に期待するからこその大きさや大人としてのどっしり構えて支えてくれる強さを感じ、子どもにとって大人はこのような存在でなければならないと感じた。
他にも、若者の職人を人間性の部分からも育てようと熱心に教育をされている田櫓さんの言葉や声かけ一つひとつがとても勉強になった。教育においてこの声かけはかなり重要である。


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ペンキ塗りを行っていると、子どもたちがやりたいと言って参加してきた。こんなに大きな木の板にペンキを塗るのはみんなにとっても初めての経験で、真剣な顔つきで作業を行なっていた。この日初めてあった新しいお友達だったので、最初はお互いに話すことができず静かだったが、気付いたらすぐにゲームの話でかなりもり上がっていた。これが子どもの凄さだ。なんとなく名前を聞いて仲良くなろうとしてしまう私とは全然違って、名前も知らないお友達ともすぐに仲良くなれてしまう。結局最後まで、彼らはそれぞれの名前を知らないままだと思う。
そこの女の人―!などと最後まで呼び合っていた(笑)
「名前」が仲良くなる要素ではないことを子どもたちから教えてもらった。


子どもたちは大人のやっていることにいつも興味津々だった。見たことのない経験にどんどん挑戦するエネルギーがある。このエネルギーを大人が否定せず、存分に挑戦させてあげられる場所が必要だと改めて強く感じた。私はその場所となるのがプレーパークであると感じている。


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