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【京都 : 花背とのつながり】

今年は1年間、自然に近い場所で暮らしてみようと決め、その始まりに京都の花背という場所を選びました。

4月の25日にヒッチハイクで京都まで行き、ちょうど1ヶ月の間、居候という形でつながりの深い家族にお世話になりながら過ごしておりました。

花背へのきっかけ

花背は京都市内から峠を越えて山道を進んだところにあります。
どこか自然を近くで感じられるところを、と考えていたところに花背が頭の中で浮かび、滞在できる場所をお願いする運びとなりました。


花背とのつながりは私のおじいちゃんに遡ります。

おじいちゃんは若くしてなくなり、一度も会ったことのないおじいちゃんです。おばあちゃんやお母さんからおじいちゃんの話を聞いて育ちましたが、私の中では勝手にヒーローのような存在でした。

お酒が好きで、人が好きで、とんでもない冗談ばかりを口にし、真に人の幸せを願う人だったと。
そう聞いています。

そんなおじいちゃんの大親友だったケロさん。
そのケロさんが工房を構えて住んでいるのが花背です。
今でも漆器の器をつくりながら、静かな自然の中に暮らしています。

ケロさん夫婦と、その息子であり漆器職人を受け継いでいる五大さんの5人ファミリーも、隣同士の素敵な木造のお家に一緒に住んでいます。

その7人ファミリーに温かく迎え入れていただき、居候の1ヶ月を過ごさせていただきました。

ケロさんも、奥さんのはるみさんも、おじいちゃんの昔の話をたくさん聞かせてくれました。とにかく優しい人だったと。優しくて面白くて変な人だったと。

ボンボンで、中国ではいつも麻婆豆腐を注文していたと。
小説家になるんだと意気込んで1ヶ月ここに滞在していたけど、出来上がった文章はよくわからなかったと。一緒にいるととにかく楽しかったと、言っていました。賢くてすごい人だったと。

今回の花背への出発はおじいちゃんのルーツを追うものだったと、そう思います。

親戚の一人のように、迎え入れてもらったこと、本当に嬉しかったです。

ケロさんとはるみさんと囲む食卓やおやつの時間は、ちょっぴりの緊張感と喜びに溢れていて、とても幸せでした。

「遠慮してるのかぁ? してないよなぁ。遠慮したって仕方ないもんなぁー。」と大きく笑うケロさんに、固くなりすぎる私の心も少しずつ緩み、ほっと過ごせた花背滞在になりました。

森のほいくしょ 京ベビーハウス堰源

さぁ花背に行こうと気持ちを固め、向こうでどんなことができるだろうかと調べた先に「森のほいくしょ 京ベビーハウス堰源」さんを見つけました。
ファミリーともつながりの深い保育園で、早速zoomでお話をさせていただき、受け入れていただけることになりました。

子どもが少なくなる山間地域で、今は4人の子どもたちを受け入れている保育所で、代表の方はどっしりと子どもたちを育む愛のある素敵な方でした。

不安と緊張でそわそわしていた私を温かく受け入れてくださり、私の可能性を一緒に考えて信じてくださいました。

朝の6時から給食室で手作りで作られる給食は、明日が楽しみになるほど美味しく、子どもたちも毎日おかわりをして嬉しそうに頬張っていました。

「食域は心の広さにつながる」というお話を聞かせてもらい、目から鱗でした。
知らない食材を口にしてみようと挑戦する気持ちは、心を開く行為なんだと。
確かにその通りだなぁと思い、食べることは小さな冒険なんだとわかりました。

春の芽吹きの頃だったこともあり、子どもたちと一緒に散歩に出かけてはわらびを摘んで調理してもらったり、朴葉の葉を摘んでお寿司を包む朴葉寿司をしたり、藤の花を天ぷらにしてもらって食べたり、これまで触れたことのない山菜や山の食材に触れた1ヶ月でした。

この土地にずっと住んでいるばあちゃんは、いろんな知恵や昔からの教えを伝えてくれました。イタドリやコシアブラの天ぷらなど、昔の人が山の恵みをいただいて生きてきたその時間の延長に私たちがいることを感じられた時間にもなりました。

1ヶ月の中で子どもたちとも少しずつ仲良くなることができて嬉しかったです。
彼らの自然な会話は可愛くて、素直でまっすぐで、心がほっこりすることばかりでした。

そのほかにも、虫を追いかけたり、梅の実を拾い集めたり、山を探検に出かけたり、アカハラやおたまじゃくしを捕まえたり。自然を隣に感じる場所でのなんとも言い難い幸せな時間を過ごさせていただきました。

花背という場所

千葉県習志野市の埋立地で育った私の近くには、本物の自然はなかったように思います。外で遊ぶことが好きで、走り回って大きくなった私ですが、花背の大自然と隣で過ごす毎日は本当に貴重で新しい毎日でした。

夏は涼しい代わりに、冬は厳しい雪がこんこんと降る地域です。
スーパーはなく、郵便局やお店も遠くまで車を走らせないとありません。

小さな集落が集まる全部で300人ほどの地域です。
少し集落を話せると電波がなくなるくらい山の中に位置しています。

家の中は薪ストーブの良い香りで満たされていて、初めて到着した日、その匂いだけですごく嬉しくて、とても癒されました。
お風呂は薪で2時間をかけて沸かし、みんなで交代にどんどん入ります。

お湯を大切に使いながら、お湯が冷めないうちに、お風呂を上がると「お風呂おさきー!」と元気な声が家の中に響いて、次の人が入る。
このやりとりと、1日の終わりを感じるこの時間が大好きでした。
まるでジブリのようで、大きな家族に憧れたりする私にとっては本当になんだか嬉しい毎日でした。

毎日の流れにテンポやリズムがあり、ご飯の時間やお風呂の時間に心地よいリズムがあることが、こんなにも豊かなことなのかと。リズムの中で暮らすことの豊かさと、それを実現することがまさに「暮らし」なんだなぁとわかりました。

みんなで暮らしているからこそリズムが生まれる。

決まった時間にみんなでおやつやご飯を食べる。
決まった時間にお風呂に入って、早めに眠りにつく。
この生活の中にあるリズムがもたらしてくれる心地よさに驚きました。

その一定の心地よさとは反対に、毎日温度の違う薪風呂。
火傷するほど熱かったり、逆にぬるかったり。
そこに趣のある変化があり、心地よいイレギュラーがありました。
曇りの日は優しい光の差し込む少し薄暗い部屋で過ごし、天気の日は強い光に目を細めながら、外に干した布団の温もりをどこかで嬉しく感じたり。

LEDライトで毎日同じ明るさの中で生きる、温度設定した毎日同じ温度のお風呂に入ることの虚しさに気づいたとも言えるかもしれません。
毎日バタバタと夜まで予定に追われて、やることに追われてつい生活のリズムが崩れ、間食が増えたりして。

私たちの生活は、整うべきリズムと、違って心地よい余白とが全く逆になっているのかもしれない、とそう思いました。

とにかく、毎日同じように流れるテンポが嬉しく、毎日温度の違うお風呂が嬉しかったです。



たったの30日でしたが、心の中にいろんな変化と移り変わりがあり、涙をこっそり堪える最終日を迎えられたのは、花背でお世話になったみなさんのおかげで、本当に心が嬉しい1ヶ月でした。

次の記事には、花背で体験したことを書いてみようと思います。

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