【 『変えたい』 はエゴなのか】
社会や目の前の状況に課題感を感じるのはいいことだけど、
もっとこうなったらいいのにって願うこともいいことだけど、
こうなれば幸せで豊かな人生を送れるのにって感じることもいいことだけど、
「変えたい」と思うことは自分のエゴでしかないんだと気づいた。
自分の目線でこうなったらいいのに、って思っても
そこにはそこだけの事情があり、その人にはその人だけの考え方がある。
結局は自分が良いと思ったことを押し付けているだけなんだ。と。
自分の横柄さというか、天狗になっている自分に気づいて
自分が嫌になった。ひさびさの自己嫌悪。
でもこれがあって、また自分がひとつ成長できる。
「学ぶことに関しては惜しまないと決めている」
「だから、大学の課題は一つも手を抜いていない」
友達の言葉に、大事なことを気付かされた。
ひとつのことを誰よりも全力で、そこにかけている。
あれこれ目移りすることなく、自分のやりたいことに向かう道を
力強く、信じ抜いて丁寧に歩いている。
これってすごく大事なことだ。
私はいろんなことが中途半端で、結局は自分にいっぱいいっぱいだ。
自分が最高だと思う世界を、自分が楽しく生きている世界を、
人に押し付けることは社会課題解決じゃない。
自分のエゴでしかない。
「困っている人の力になること」と
「自分が良いと思う世界を実現すること」を履き違えていた。
もう一回。考え直そう。見直そう。
でもやっぱり、なんか燻っている人とか、時間を無駄にしてる人とか、
もったいないなぁと思って、こうした方がいいぜ!って思っちゃうんだよな。
余計なお節介だ。自分の話をするくらいなら、相手の話を本気で聴こう。
問いかけることで相手の中に新たな発見を生み出せるような、
そんな人になりたいな。