これからの健康業界の展望は、自分が自分を表現するところにある
私たちの社会は、長寿と無病の実現に大きな成功を収めている。その一方で、健康業界は新たな挑戦に直面している。目標が達成されつつある現状では、健康を向上させるために何をすべきかを見つけ出すことが難しくなっている。
目的が達成された健康業界
RIZAPの登場により「ダイエットをする」ということはほぼ確実に達成される事柄になったし、数十年前には屈するしかなかった癌やウイルスにも対抗できるようになってきた。しかし、これからの病気の予防や治療は、実際の価値以上のリソースとイノベーションが必要となる。それは「生命倫理」を盾にこれからも長寿と無病の研究は続けられる現状である。
長寿と無病の追求は、過去数十年間にわたり我々の生活の中心的なテーマであったが、治療は高額化してきており、富裕層しか享受できない。普通に健康に暮らしたい我々にとっては、新たな健康の定義を探るべき時期が来たと考えた方がいい。
不安を煽る健康業界
長寿命化、無病化の達成には限界があり、健康業界は不安を煽ることしかできていないという問題もある。具体的には、未知の病気や潜在的な健康問題を探すことで、一部の人々は過剰に健康を心配し、健康不安に陥っている。不安を煽る健康情報は、むしろ健康にマイナスの影響を及ぼすことがある。これは、ストレスの増加や過度な心配により心身の健康を害する可能性があるからである。
この不安こそ、現在の健康業界の糧になっている。健康になればなるほど、解決が難しい健康問題に直面させ、開発の重要性を説く。
この背景には、健康観が与えらえることが大きく関係している。個々の健康観がないからこそ、与えられた健康観への欠乏感が生じて、これが不健康感へと通じていく。
自己中心的な健康観の時代へ
このような状況の中、これからの健康業界は、健康の形を自分たちで決めていくという方向に進化すべきだ。つまり、健康は、単に病気を避けることだけではなく、自身の生活の質を向上させ、自分自身を最善の状態に保つことに関係しているという観念に向かって進むべきである。
例えば一昔前の『養生訓』や、アーユルヴェーダといったものは健康法に関してはあまりにも日常に馴染んでいると思う。これらはもはや「生き方」であり、誰からとやかく言われるようなものではない。これこそ完成された健康観の一種であり、健康業界の不安の煽りから独立していると私は思う。
まとめ:これからの健康業界への期待
健康業界には新たな段階に進んでほしい。健康業界から生まれた言葉であるWell-beingは、今では健康業界が語りづらい言葉となっている。その理由は健康観を押し付けることをわかっているからだ。健康業界の提供する健康は、決してその人のWell-beingになりえない。
そのことがわかって初めて、健康業界は諦めをつけて、独自性を見出すことができると思う。単一的な健康はある程度の核を形成することには成長したが、多様かつ自由なビヘイブには失敗に終わっている。その自覚を持つことだ。何が重要で、何が本当に必要なのか。それを消費者に問いかけることだ。
そしてその際には、健康の新たな定義について両者が深く考える必要があるだろう。それは、私たちが自身の健康をどのように理解し、どのように選択し、それを実現するためにどのような手段をとるのか、という問いを、業界側も考える。新たな視点から健康を供与することで、健康業界はこれまで以上に人々の生活を向上させることが可能となるだろう。
生きるためではない、活きるための健康を。
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