chatGPTとこの先の人間がすること
所感とこの先の未来
chatGPTをいじってみた感じ、思った以上の変化だった。言ってみればコンピュータの定義,AIの定義というものを改めて考えさせられた。
昔から人が得意なところは人が、機械が得意なところは機械が行うといったように、分業体制を築くことが重要であるとは思ってはいた。だがその分業する仕事というものがかなり違っているのだと感じた。
例えば、数字計算はコンピュータ登場当時から現れており、電卓が最たる例で間違いなく人間の能力を超えている。
10年以上前から数字を扱うアナリストは死ぬだろうとは言われていた。事実、chatGPTはその機能、アナリストとしての機能をほとんど内包していると言っても過言ではない。統計的なアナリティクスはもちろん、経営アドバイスまでもできる。
プログラマーの強みは、コンピュータを支配下に置けることだった。機械言語で機械に命令をくだし、絶対的な支配者として存在していた。しかしその機械言語の書き方すら、自然言語で教えてくれる。プログラマーさえも、型落ちしていくだろう。今までは「機械を扱える人間になろう」ということでリケイ、そして義務教育でプログラミング教育を始めていた。もはや恒例のように、教育に組み込まれたときには時代遅れになるというのがドンピシャで来ている。(とはいえ、しばらくはプログラマー、機械を扱える人間は必要になるだろう。まだまだこのAIと会話するには技術が必要になる)
人間がすることは何か。お知り合いと話して出た結果、そして今まで分かってはいたけど顕在化してこなかった点、それはやはり美的センスに至る。
美的センスというと大雑把であるが、要は「とんでもなく優秀な理系アナリストと、パートナーとして組んでいくなら誰がいいか」という問いに対しての答えである(ちなみにもっと言えば、この理系アナリストはそれなり以上の美的センスを持っている)。
ようは今までは機械を扱える知識+美的センスが必要であり、10年前までは後者がなくても簡単に成功者として生きていけた。最近は後者の美的センス、ビジョンなどが特に日本では薄く、迷走していると言われている。そこで山口周をはじめとした人がこのビジネス×美学を掲げていたが、深く営利に結びついていないと思われているのか、浸透しているようには見えない(もちろん、先端企業は実践している)。だが今回の件でこのビジネスの数字の強さや機械的センスというものが完全に陳腐化した。常にいい経営アドバイザー、アナリスト、秘書がついているようなものである。もはやそこも機械にお願いしたほうが都合がいい。あとはそれをどう導くか、それが人間が今のところできるところである。
わたし(著者)はどうするか
個人的な話に移ろう。私の夢は
健康の多様性を実現するために、健康情報のデータベース化とアクセス可能なプラットフォームを作る
そのために医療人類学の本を読み漁ってきたのだが、何か方法が間違っているような気がしてならなかった。医療人類学を知っても上記の目的は達成できない。そのためにはプラットフォームを作らねばならない。要はPCでのお仕事が重要になるわけだ。健康のことをやりたいが、一度システムエンジニアのように働いたほうがいいのか?自分の中で葛藤があった。
簡単には実現できないこの夢を、どうするか攻めあぐねていた。そこにこのAIが現れた。webスクレイビングなんて目じゃないほど、このAIは優れていることがよくわかった。
「健康情報を収集するのは、俺じゃなくてこいつでいいんだ。俺はただこいつにうまく働いてくれるようにすればいいんだ」
この文章は、chatGPTによる未来への期待と見せかけたただ自分の意思決定の文である。私はパーソナルトレーナーや健康についての勉強は程々に、ただこいつと上手くやっていくことで目標が実現できると思った。よって私が向かう方向はもしかしたらシステムエンジニアのような存在、こいつと上手くやっていけるような存在だと確信したのだ。
だが、健康の情報といったら信ぴょう性が大事ではないか?そこを理解もできずに進めるのはいかがなものか、との声がありそうだ。
そもそも、私は信ぴょう性など信ぴょうしていないのである。もちろん正しい情報というものはあるだろうが、「その人にとって正しい」かはどの論文にも載っていない。この件については長くなるのでここで切るが、要はその「正しい情報を提供する」という点で健康業界が腐っていることを覚えていてほしい。そのために私はこの夢を実現するんだ。
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