『君たちはどう生きるか』とエステティック
スタジオジブリ映画『君たちはどう生きるか』はエステティックによる価値創造の現在進行形の事例である、という生煮えの考えをこの記事では綴りたい。なお、執筆者は本作を7月14日・17日と2回観ているが、本記事は最後まで公開情報の範囲で記載する(ネタバレ含む内容自体の考察については、数多ある他の記事や動画を参照されたい)。
エステティック aesthetic
本記事がいうところの「エステティック」概念は、京都大学経営管理大学院 教授の山内裕先生による「エステティック・ストラテジー」を説明した以下の記事を参照している。核となるいくつかの文章を転載するが、ぜひ原文を一読いただきたい。
山内裕先生と、同大学院 佐藤那央先生によるポッドキャスト最新回もエステティックがテーマのため、関心がある方はこちらも聴いていただけるとより理解が深まるように思う。
さて、「エステティック・ストラテジー」はエステティックな観点での価値創造(イノベーション)を目指すアプローチだが、上記転載の通り、映画がひとつの価値創造のモデルだと言及されている。
本記事執筆者は、「君たちはどう生きるか」がいま・ここの生きた事例のように感じている。拙いながら、公開直後時点の自身の考えをまとめておく。
鈴木敏夫プロデューサーによるエステティック
作品の事前情報がタイトルとポスター1枚のまま、『君たちはどう生きるか』は7月14日に劇場公開された。公開後であっても、引き続き公式ウェブサイトはシアターリストのみで、パンフレットも公開後販売(7月18日時点で未案内)という、「異例の宣伝方針」が継続している(公開後、主題歌の提供や声の出演については当人からの発表がなされている)。
NHKによる単独インタビューのなかで、プロデューサーの鈴木敏夫氏は以下のように語っている。
つまり、マスメディアを相手にせずウェブ/ソーシャルメディアのバズも狙わない、持てる者の無言(無宣伝)が「社会への内部からの批判」であり、結果的に「内と外を攪乱する微妙な実践」として最大級の“宣伝”になったのではないか。
宮崎駿監督によるエステティック
「君たちはどう生きるか」というタイトルは、吉野源三郎の同名小説からとられている。その吉野源三郎の孫にあたる吉野太一郎氏は、キャスト・スタッフ向け試写に招待されたときの振り返りを7月14日に合わせて公開された記事で綴っている。
執筆者自身、1回目を観終えた直後は吉野太一郎氏とまったく同じ印象であった。その“訳のわからなさ”は、(作品のごく一部かもしれないが)宮崎駿氏自身も同じくであるという。
本記事冒頭でふれたように、『君たちはどう生きるか』を考察する数多の記事・動画・コメントなどが出ているが、いわゆる映画評論家/レビュアー以外の人々も多く発信しているように見受けられる(私もその一人に数えられる)。まさに「私たちの欲望は、このシステムからはみ出る謎、無意味、不可能性によって駆り立てられている」状況であるように感じる。そして、それらの考察は決して一意ではないのだが、いかに作品に対して光をあてるかは考察者自身の「敗者の救済」となっているのではないだろうか。
「君たちはどう生きるか」はイノベーションか
日本経済新聞をはじめとするメディアの報道によると、公開後4日間で135万人を動員し、興行収入は21億4000万円を突破。スタジオジブリ最大のヒット作品である「千と千尋の神隠し」の公開後4日間の興行収入をも超えたという。
これらの実績からも、『君たちはどう生きるか』はエステティックな観点での価値創造を実現した、ひとつのイノベーションと見なしうるのではないだろうか。
本来であれば作品が文脈づけられる時代の必然性なども考察すべきだが、そこまで自身の考えが至っていないことを最後に付言しておく。
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