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『Wicked』、「歴史」、「歴史化」

日本時間2025年1月24日の第97回アカデミー賞ノミネーション発表で10部門にノミネートを果たした映画『Wicked』。前回は映画のポスタービジュアルについて書いたが、今回はミュージカル原作について、ごく個人的な思い出をたどりながら、気ままに綴りたい。

2025年1月1日、大阪四季劇場で『ウィキッド』を観劇した(トップ画像はその際の一枚)。これが東京・大阪・New Yorkの通算で11回目の観劇だったが、初めて観劇したのは2009年11月の同じく大阪四季劇場だった。
(ちなみに、人生で初めてのミュージカル観劇は、2009年8月に大学編入試験の帰りに京都劇場で一人で観た『美女と野獣』で、その次が上述の『ウィキッド』だった。当時は岐阜に住んでいたが、わざわざ大阪まで観に行ったその日から、「心を奪われ」続けている。)

観劇前からサウンドトラックでは聴いていたが、初めて劇場で観たとき、妙に心に響き、強く記憶に残ったフレーズがある。

私のふるさとでは、皆の信じたことが「歴史」と呼ばれている。

ウィキッド劇団四季版「ワンダフル」

このフレーズは、オズの魔法使いがメインで歌うミュージカルナンバーに含まれるものの、歌唱パートではなく台詞的なフレーズのため、譜割りを気にせずにオリジナルの英語歌詞がほぼそのまま訳されている。

Elphaba, where I'm from, we believe all sorts of things that aren't true. We call it - "history."

Wicked Original Broadway Cast Recording "Wonderful"

オリジナル版を忠実に訳すなら、「皆の信じた〔、真実ではないあらゆる類の〕ことが「歴史」と呼ばれている」となるだろうか。

このフレーズについて、過去の学びを携えたいまの自分なら、その含意を汲めるように思う。
それは、“疑いようのない絶対的なものだと扱っていること(「歴史」)にも、人が関わることでそのようになった経緯が存在する”ということだ。

その経緯を明らかにする営みは、「歴史化(historicize)」と呼ばれている。

歴史化とは、……すでに自然化してしまった読解を、どのような過程を通してその読解が自然化したのか、そのプロセスを問うのである。

太田好信(2013)「アイデンティティ論の歴史化:批判人類学の視点から」『文化人類学』78(2)
https://doi.org/10.14890/jjcanth.78.2_245

つまり、(突き詰めれば絶対だと言い切れる根拠などない)人々が信じることによって所与のもののように扱われている「歴史」(=「自然化してしまった読解」)を解体することが、「歴史化」といえる。

ここで大胆に言い切るなら、児童文学や映画でよく知られた『オズの魔法使い』という歴史を、『ウィキッド』は歴史化しているのではないか。
『オズの魔法使い』のなかで説明もなく突如現れる悪い/善い魔女は、なぜ悪い/善い(と言われるようになった)のか、誰も問うことはない。その経緯を描いたのが『ウィキッド』であることは、誰も疑わないところだろう。


追伸:記憶に残ったフレーズの直後は、まさに善悪の内実について歌われる。この箇所は、劇団四季版とオリジナル版では(譜割りの制約もあり)ずいぶんと異なる。あなたはどちらが好みだろうか?

ホントなんか どうでもいい
どうでもいい どうでもいい
悪い奴でも 善人でも
一皮むけば おんなじこと

ウィキッド劇団四季版「ワンダフル」

A man's called a traitor - or liberator
A rich man's a thief - or philanthropist
Is one a crusader - or ruthless invader?
It's all in which label
Is able to persist
There are precious few at ease
With moral ambiguities
So we act as though they don't exist

(訳)
ある人は裏切り者と呼ばれることもあれば、解放者と呼ばれることもある
ある金持ちは泥棒と呼ばれることもあれば、慈善家と呼ばれることもある
ある人は十字軍と呼ばれることもあれば、冷酷な侵略者と呼ばれることもある
それはどのラベルが
残り続けるかにかかっている
道徳的な曖昧さに
安心できる人はほとんどいない
だから私たちは、まるでそれが存在しないかのように振る舞う

Wicked Original Broadway Cast Recording "Wonderful"

(なお、オリジナル版のほうが多くの小節数を割いて上記を歌っている。その意味で公平な比較ではない点はご理解いただきたい。ただ、個人的には、劇団四季版のズバッと言い当てている歌詞は、創造的な翻訳のように感じる。)

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