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高齢者に優しいのは、ヒトではなく、UIである(汗)

   マクドナルドで朝マックしておる。

とにもかくにもモバイルオーダー推し、世界中の誰よりも、モバイルオーダーを率先して使っていた私であるが、今日、なぜか魔がさしてカウンターでIN-PERSONでの注文をしてみた。

モバイルオーダーで、店内飲食と持ち帰りを同時に注文することはできない。注文を受け取ったら「受け取り済みにする」ボタンを押さねばならない(おそらく、押さなくても問題なさそうだけど)。なので、最初に店内飲食を注文し、テーブル席でそれを受け取り、そこから新たに持ち帰りオーダーを注文するのが常であった。

が、今日は、すべてを一回で済ませたかったので、カウンターに立ったのだが、それが問題の発端であった。

カウンターでは、声がとてもキレイに通るベテラン女性クルー(スタッフ)さんが対応してくださった。受け答えは完璧で、声も大きいので高齢者にもありがたいだろう。

そう思った。その時は。

カウンターでメニューを見ながら店内飲食の注文をしつつ、持ち帰りメニューを一つずつ選んでいたところ、大きな声で「〇〇をセットにするとお安くなります云々」の声が聞こえた。何を言われたのか分からなくて、顔を見上げると、真顔のスタッフさんが私からの返答をガチ待ちしている状況であった。

聞き返そうと思ったのだが、なぜか急に狼狽してしまい、状況を理解しないまま、「じゃぁそれでお願いします」と言って注文を終えた。

なぜか、すごい圧を感じてしまい、モタモタできないなと思ったのだ。

支払い金額がびっくりするほど安くて「おかしいな」と思ったのだが、結果的には持ち帰り用のオーダーが通っていなかった。仕方なく、モバイルオーダーで追加注文したのだが、もうカウンターで注文することはないなと思ったのだ。

歳をとると認知能力が色々と下がるけれど、それなりの羞恥心も芽生える。それまで何事もシャキシャキとこなせていたはずの自分の、視力が衰え、耳が遠くなり、動きが緩慢になり、マルチタスクもできなくなる。そんな自分を少しだけ恥ずかしいと思ってしまうのだ。

だからこそ、カウンターで発するべき「もう一度言っていただけますか?」という言葉の意味が、「聞き逃したのでもう一度」ではなく、「私は年寄りで耳が遠いので、申し訳ありませんがもう一度言っていただけますか?」と言っているように思えて、少し躊躇してしまうのだ。

そしてRTA(Real Time Attack)が不得手になるのだ。ゲームでもタイムを競うようなものはダウンロードすらしない。時間を競わない、誰にも迷惑がかからない、自分のペースでポチポチと進めるようなものしかできないのだ。

なので、カウンターでクルーさんを拘束してモタモタと注文している自分が、情けなくて仕方がないと思ってしまうのだ。そして、少しクルーさんの圧を恨めしく思ってしまう自分もいる。もっと優しく聞いてくれてもいいのに、と。

レジで激昂している高齢のオジサンの気持ちが、チラッと分かった気がした。自分自身は20年ほど前には会社の重役で皆に尊敬されていた(と思っていた)のに、レジの若造がこのワシに失礼で生意気な態度をとるとはなんたること。教育がなってないんとちゃうか、と思ったりするのだろう。

相手がヒトだと、受け手によっての反応はマチマチであろう。時には感情を大きく揺さぶられることもあるかもしれない。相手が生身の人間であり、こちらもそうだからだ。

客観的に見ると、そのクルーの女性の対応は完璧オブ完璧であろう。大きく綺麗な通る声に、姿勢もスッとした佇まいである。顧客の注文に対して、瞬時に安くなるセットメニューをご提案。それ以上、顧客側が何を求め得るというのか。

それに比べると、モバイルオーダーの画面(UI)は、考え得るあらゆる事柄に対応済みであり、タイムアタックをする必要もなく、テーブル席で画面を見ながらゆっくりタッチすればいい。見にくかったら、画面を自分の眼前ギリギリまで近づけて見てもいい。カスタマイズもできる。

相手がヒトじゃないっていうのは、こんなに気楽なものなのか、と実感した朝であった。

高齢者こそKindleを読むべき、とずっと言ってきた。文字を拡大表示できるからだ。でも店頭に並んでモタモタする自分を恥じるのなら、店頭のスタッフに感情を揺さぶられることがあったのなら、高齢者こそモバイルオーダーを使うべきであろう。

人間って、思うほど他人に優しくはない。時々、ものすごーくお優しい人がいるだけなのだ。

自分のペースで進められるということ、他人に迷惑などかけていないと実感できることが、高齢者には大事なのだわ。

ネットとスマホは、多くの人を救っているよね。便利なだけじゃなくて、精神面でも救っているのだ。

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