今ここにあるものは、やがて空気になる
豪州の大学院で学び始めた頃、その「学びの方法論」が、日本のそれと違い過ぎてショックを受けたことがある。
欧米人は、こうやって批判的思考を身に着けたのか、こうやって理論立てて物事を記述するのか、アカデミアの世界(日本の大学教育)は、本来はこうあるべきだったんじゃないか、というショックである。トラウマティックですらあった。
そのトラウマが大きすぎて、その後の人生では、もともとあった日本の義務教育に対する漫然とした不満が、「日本の学校教育が諸悪の根源」という命題に凝縮されてしまうようになった。
ところが。
学校教育が諸悪の根源であれば、日本では優秀な人は一切輩出されず、欧米人のすべてが批判的思考を身に着けて、常に論理的に話ができるはずであるが、そんなことはない。
なぜなのかと考えるようになった。
東京に生まれた子たちは、その恵まれた環境(文化資本を含む)を得ただけで、地方に生まれた子たちとは一歩も二歩も先んじている、と思う人もいる。
でもさ。
そんな文化資本に恵まれた東京生まれの子たちが皆、その環境から最大限を享受しているかというと、そんなこともなさそうなのよね。
偉大な建築家も、芸術家も、漫画家も小説家も、出身が東京に集中しているなら理解できるけれど、そういうわけでもない。
うちの子供達も、海外の数か国で幼少期からティーンエイジャーまで過ごしたけれど、それぞれの文化圏から得られるメリットを最大限に感じ取っていたかというと、そういうもんでもない。それぞれが自分の目を通して見える世界の中から印象的な何かを、断片的に脳に刻んだ程度なんじゃないかな。
少なくとも、日本で教育を受けた後に海外に行ったならば、日本とこういうところが違う、などと気づくこともあったのだろうが、そういうものを持たなければ、それは「生まれた時から今ここにあるもの」でしかない。
「(少なくとも自分から見えている範囲内で、ではあるが)世界はこういうもの」という理解をするだけであろう。
つまり、
生まれた時から周囲に存在しているものは、「手に入れるのが大変なものではなく、当然そこにあるもの」であって、ほぼ無価値なものになっていく。
それは「命にとって大切なものであるにも関わらず、普段それを意識することなく、存在を当然だと思っている空気」みたいなものである。
空気の価値に気づけるのは、それを失った時か、理論的に認識した時くらいであろう。
日本を旅行で訪れたり、留学して来た外国人たちが、日本にあって自国にないものに驚いて、それを海外に売るビジネスを始めるという例が後を絶たない。
日本人にとっては「すでにそこにある、いつものアレ」でしかないものが、外国人からすると「世界で日本にだけある、貴重なモノ」に見えるのだ。
だって、今まで見たことがないものだから、驚くのは当然だ。自国民も自分と同じように驚くだろうな、価値を認めるだろうな、お金を払ってでも欲しいだろうな、ということに気づけるからだ。
よく地方創生などと言って、地元の観光産業を盛り上げようと、色々な商品を開発したり、旅行プランを打ち出したりするけれど、それが外国人にとって本当に欲しいものかどうかは分からない。
だから、地元の価値や日本の価値は、そこに住む人には絶対に分からないものなのだよ。
だから、そんな人たちが「提供者の論理」で色々な商品開発をしてみても、それがすなわち外部の人から魅力的に見えるかどうかというのは、別の問題なのである。
話を元に戻すと、東京生まれの東京育ちの子たちは、「東京の持つ価値」は全く分かっていないし、「日本生まれの日本育ち」も、日本の魅力が分かっていない。マジで。
東京に生まれ育つことは、「自動的に多くの選択肢が与えられている状態」ではあっても、「それらのすべてを最大限享受できるわけではない」ということなのだ。その価値が全く分かっていないからね。
私も大阪人だからよくわかるが、周囲に美術館も劇場も多くあって、小さい頃から外タレのコンサートに行きまくっていたので、それが日本の全国民にとって当然フツーに与えられている環境だとずっと思っていた。大学生になって、地方から来た下宿生の友人が、大阪の都会っぷりを熱く語るまで、その価値が全く分かっていなかったのだ。
今ここにあるもの、手元にあるものの価値は、気づかないうちに空気になって、無価値なものとして認識されていってしまう。
逆に言えば、「その価値に気づける環境にある人が、実は有利なポジションにいる」とも言える。
東京人が常に有利だとも限らないのだよ。
では、地元や日本の価値に気づき、それを商品化しようとするならば、ずっと現場で唸っていても仕方がない。
価値に気づくためにできることは、以下の二択しかない。
1、外に出てみる(市外、県外、国外)
少なくとも数日以上の旅行で、もしくは短期でも長期でも移住(進学や留学、就職等)するなど、地元から離れてみること。その後、改めて地元に戻った時には、外部から初めて来た人と同じような見方ができるようになるかもしれない。
私も海外にずっと住んでいたので、一時帰国する度に、コンビニやスーパーで絶叫したりしたのでw、海外に一か月でも住んでみると、見え方が変わってくると思うよ。
2、FOREIGNERの視点を持つ
物理的に移動するだけではなくて、脳の設定を操作(Manipulate)して、「私は今、初めてこの地に足を踏み入れた外国人(Foreigner)である」と自己暗示にかけることでも、かなり発見がある。
これができるようになると、設定を色々と変えて、(時間と心に余裕があるならば)相手の立場になって考える、みたいなこともできるようになるかもw
でも多くの人は既成概念や自分の常識から完全に放たれることはできないから、やはりいろんなところに移動してみることが大事なんじゃないかなと思うよ。