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これからの時代に大切なスキルって?

 色々と結果的に時代先読み(過ぎ)人生を送っておる。

カナメ「バンリちゃんってさ、確かに色々と、例えばIT業界なんかの先を読むセンスとかはめちゃくちゃあると思うんだけど、なんかアーリーアダプター過ぎて、投資の材料にはならないというか。オレみたいなアーリーマジョリティの肌感覚が、一番大事だと思うんだよね。」

確かに。株式投資というのは美人コンテストと言われることがある。将来マジで成長する会社を誰よりも早く見極める競争ではなく、「みんなが成長すると思う会社」を多少早めに買えばいいだけというか。

シードのレベルで投資できる財力があればなぁ(違)。

何があってもガチホできる胆力があればなぁ(大違)。

いや、株式投資の話ではなかったな。

これからを生き抜く力の話がしたいのである。

これからの時代は難しいねーっ、と思っている方がたくさんいらっしゃることと思う。今までだったら良い大学に行けば優越感に浸れて、そこそこの就職先に潜り込めたりして一生安泰だと思えたから、それを信じれば良かった訳で。

それに比べると大変な時代だなと思われるのだろう。

が。

私なんぞ、そもそも三流私大卒で、当時から「一流企業になんぞ入れるわけはない。極小零細企業でもええからとにかく入るぞ。のっけからギア入れまくって就活すっど。」という危機感マックス状態で就活を始めちゃったから、勢い余って外資系企業に滑り込んじゃったよん。まぁ時代が良かったというのは当然あるのだが。

でも今は、学歴だけじゃなくてパソコンのスキルがないとダメだとか、コミュ能力もいるだとか、いやいや英語が大事でしょ、と大変そう。だから親は、子供たちを塾に入れるだけではなくて、マネーリテラシーをつけさせようと躍起になったり、プログラミングの講座に通わせたりするのだろう。

次世代を生き抜くために必要なスキルが何か。

それが分かったら、子供にそれをつけさせたいと思うのが親心。だから、かつては「読み書きそろばん」で良かったものが、今ではさしずめ「英語・マネーリテラシー・プログラミング」あたりについて、親が敏感になり始めている頃だと思う。

ずっと日本に住んでいて、これからもずっと日本にいるなら、それでもいいのかなと私もちょっと思った時期もあったが、今は確信している。そんなレベルじゃないということを。そしてそれは、私が子育て中に唯一ブレなかった「子供につけさせたいリテラシー」が、まさにそれであると思っているのだ。

それは、

 不可抗力に対応する力

であーる。

なによそれ、だよね。

日本人として日本で生まれて育つとピンと来ない概念だと思う。でも長年生きてきて思うのは、実はこれが最も大事な生き残る知恵だと思うに至ったのは、日本がいつまでも「安全で安心して住める場所」じゃなくなってきていると感じるようになったからだ。

海外に住んでいると、場所によっては「明日が自分の命日になるかも......」と感じることがあったりする。ざっくりとした治安の問題だけではなく、地政学的なリスクがあったりする。それだけではなく、何かあった時に滞在国が守ってくれるのは自国民だけで、外国人である自分のことは自分で守らなきゃいけないと肝に銘じて生活していた。

そして子供達に至っては、父親の仕事の関係でポンポンと住む国が変わり、その度に転校を余儀なくされており、自分の意思で色々と想定していたことや今後の予定が、その度にゼロクリアされるという経験を嫌というほどしてきたのだ。

日本の一般的な親御さんなら、子供の意思を尊重し、子供への影響を最小限にすべく行動すると思う。簡単にいうと、子供の学校環境を変えずに、親が単身赴任するという選択をとることが多いと思う。

なのに!

我が家の場合は、カナメの仕事で数年おきにサーカス団のように引越しを強要されていたのである。子供からすると、ひどい親に映ったかもしれない。

そして、それは私自身にとっても同じであった。やっと築いた交友関係や仕事にまつわるあれこれを、国際引越しの度にゼロクリアさせられたわけで。

過去の自分の努力が無に帰する(実際はゼロになるわけではないけれど)事態に陥ったのに、その原因は、自分の意志とも過去の行動とも何の関係もなく、完全なる「不可抗力」であるという状況

そこで腐らずに、それでも自分の人生は続くのだから、なんとかうまいこと自分の中で折り合いをつけて、前に進む力というものが、これから最も大事な生きるためのリテラシーだと、私は思うのである。

とはいえ、その不可抗力に対して、「全力で対峙して正面突破する能力」ではないということにご注意を。

その状況に対して、一時的に凹もうと、悩もうと、ドタバタしようと、それは人間だから仕方がない。でもある程度の時間が経ったら、それはそれとして、まぁしゃぁないよね、そういうことも人生ではあるよねと消化して、またイチから自分の生活を立て直していく、その状況で与えられた駒を総動員させて、なんとか生きていくという力が大事なのだよ。

昔の話だが、親戚達が集まると、どこどこの子供さんが受験に失敗して、それからずっと引きこもっているとか、「自分はこんなレベルの会社にいる人間ではない」と言って転職を繰り返した結果、何のスキルもつかなかった哀れな人の話などを聞かされたことがあった。

過去の栄光や失敗したことにいつまでも固執して前に進めないことほど、愚かなことはないなと子供心に感じたものだ。

今までの平和な時代であれば、ある程度の努力で良い大学に行けば、かなりの高確率でそうでない人よりは良い職場につけるという傾向はたしかにあったと思う。が、これからは、人も羨む会社に就職できたからといって、その会社が定年まで安定的に続く保証もない。最後に残るのは自分の経験値のつまった脳とスキルだけである。会社の名前で生きていくことなどできない。今までの日本では考えにくかったような「想定外なこと」が起こる確率は、過去数十年に比して圧倒的に高くなるはずだ。そんな時に、自分の中で確実に積み上がった経験値を総動員して、柳のように折れずになんとか困難な時期をやり過ごすような能力が、絶対に必要になるのだ。

そのためには、過去に「ゼロクリアされちゃったけど、なんとかなったわw」という経験をしたことが、必ずや将来生かされると私は思う。

目標を設定して必死に努力して、それを掴みに行く過程で、そのすべてを根こそぎ奪われるようなことが、今後ないとも限らない。目標に固執しすぎるのも良くないのかもしれないし、背水の陣を敷いて挑むことよりも、ある程度のヘッジをかけておくことの方が大事な時代になるかもしれない。

そのための力をどうやって、この平和な日本で培えるのかしらん?

それは多分、親が「あるべき姿」を提示しすぎないことかも。細かいことを言わなければ、子供は大抵どこかのタイミングで「親が望まない方向の何か」を色々とやらかし、そこそこ大きなキズを負ったりもする。そこから、のらりくらりと自分で立ち上がる経験を、親が元気なうちにさせてあげればいいよ。

親の目が黒いうちに、色々な失敗やカッコ悪いことを経験するのであれば、まだまだ親が助けてあげることもできる。そうやっていろいろな人の手を借りてでも、自分がまた歩けるようになるのなら、それで満点やんか。

不可抗力が生じたら、ちょっとこのnoteを思いだしてね。

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