やらないと結果はない、やり続けないと成功しない
いつでもどこでも誰にでも、気になるとインタビューしちゃう私。
韓国の子供たちは、来る大学受験に備えて幼い頃から勉強せよと親から圧力がかかる。高校生にもなると、その圧たるや最高潮に達する。
富裕層の集まるカンナムエリアは、美容整形のメッカであると共に、米国の名門大学への進学塾が集まるホットスポットでもある。
そこに幾多ある塾の某塾長先生と長い間お話しをする機会があったのだけど、その中で印象的な話があったのでシェアしたい。
韓国の高校生達は、国内および米国(面白いことに、米国以外の大学は、大学にあらずという雰囲気)の名門大学を目指すのだが、SATで満点近くを取ろうと、ハーバード大学に合格できるかというと、そうではない。なぜならば、その同じレベルに膨大な韓国人の層があり、米国の大学側としても韓国人(または中国人)ばかりを合格させるわけにはいかず、またSATのテストスコアだけで合否は決まらない。TOEFLを満点に近づけるだけではなく、学校でのGPAを限りなくMAXに上げTop Studentになるか、スポーツの世界大会に出るとか、新聞に載るような何かの社会に対する功績があったり偉業があったりでもしないと、なかなか合格できないらしい。
その状況にあるので、子供達は親から「同級生は皆ライバル、同級生に負けるな」と葉っぱをかけられる。
そんな中、「留学経験もなく、帰国子女でもなく、国内の特に名の通った高校に通っているわけでもない、国際学科でもないフツーの女の子が、ハーバード大学に合格したんだけど、その子がめちゃすごいんだ」と塾長先生に言われたので、思いっきり身を乗り出して聞いてみたのよね。
ちょっと待っててね、と言って彼はその場を離れ、一冊のノートを持ってきてくださった。そこにはびっしりと英文が書かれていた。
塾長先生「これはね、その彼女がどうやって勉強したかのノートなんだけど。ここでは生徒たちに、間違った問題は全てノートに転記して、2度と間違わないようにそれを何度も見直しておけって言ってるんだけど、どれくらいの子がそれを最後までやると思う?」
私「うーん、意外とやらないかもしれないですね。」
塾長先生「それがね、今までで、いやその後もずっと、やり遂げたのは彼女一人だけ。彼女は言われた通りに毎日毎日ノートに書いて覚えて、それが何十冊のノートにもなって、それで結果がちゃんと出て、唯一合格できた。分かる?やるかやらないかだけなんだ。そしてそれを実行できる人は、そんなに多くはない。実際には一人だった。高い塾代を払っても、こんなことすらみんなできないんだ。本当は勉強なんて、とってもシンプルなことなのにね。
ボクはその子の姿勢にとても感動して、米国に行く前に(塾に今後入学してくる)後輩のためにノートを一冊欲しいって言ってもらったんだ。これだよ、これ。このパワーだよ。」
できそうでできないのは、難しいことではなく、ずーっとやり抜くこと。特にすぐに結果が出るわけではない知的な基礎体力(真の実力)を携えるためには、地道な努力に勝るものはなく。特に語学においては、そうなんだよね。
語学の学習には、聴きながら自然と覚えるとか、無理なく習得するという甘い言葉を聞くことがあるだろうが、それだけでは絶対にあるレベル以上には到達しない。軽い日常会話程度なら可能かもしれないが、実際に生活するとなると、実際に仕事に使おうとすると、専門用語に代表される語彙力の問題に必ずぶち当たる。人が生まれて成人するまでに獲得する語彙力を、例えば1年間に凝縮して獲得しようと思ったら、それにはある程度の努力を要するわけよ。
なので、そうやって地道な努力を何年も続けて、プレッシャーからくる嘔吐感に苛まれながらも、皆が羨むような大学に行き、必死でGPAを上げてグローバルカンパニーに高待遇で就職できたような人が、努力もせずに「金持ちはずるい、お前らは境遇に恵まれただけだ、富を平等に分配せよ」と一般Pに叫ばれても、ちょっとイラッとするだろうなと私でも思う。
とはいえ、私もその後ちょっと冷静になって色々と考えてみた。
彼女は自分の努力だけで、SATやTOEFLのスコアで高得点を取ったのは間違いないだろうが、それでも合格が保証されないのが米国の名門大学のアドミッションの難しさというか。
つまり、彼女が合格した理由はスコアだけではなく、彼女の姿勢そのものが、もしくは目的に達成するために自分でやるべきことを設定してやり抜く力だとか、そういうものが彼女のエッセイや先生の推薦状の中に色濃く見えたんじゃないかなと思ったのだ。
やたらと業績を披露したり、どこかで見たことあるような、もしかするとゴーストライターが書いたんじゃないかと思われるようなエッセイではなく、もっとオリジナリティとリアリティのあるものを書けていたんじゃないかなと勘ぐったりもする。
翻ってみると、日本の大学入試なんて、基本的には一発勝負のテストで決まることが一般的である。当日に体調を崩したら努力が水の泡。体調管理も実力のうちとみなされる。それはある意味公平なのかもしれないけれど、そのために学校の授業をおざなりにしているような側面もあるのかもしれない。
それに対するものに学校推薦やAO入試で合格を勝ち取る場合もあるが、それに対しても「一般入試組の方が優秀」と言われたりする。
米国の大学は、色々な背景を持つ突出した頭脳を集めて全体としてバランスをとっている部分がある。それに対して日本の大学は、ある一点の入試耐性とも呼ぶべき能力だけが一定レベル以上の人に対して無条件に合格通知を出す。つまり多くの日本人の中でも、さらに同質なものが集まるような側面もあるかもよ。
とにかく、何かアクションを起こさないと結果に変化はないし、成功は、尋常ならざる努力の継続でしかあり得ないということがよく分かったよ。
とはいえ、何をもって「人生の成功」と呼ぶかは、個々人によって異なる。個々の人が自分が望むベクトル上で、外野にあれこれ言われずに思いっきり突っ切れる世の中がいいなぁと、私は思うよ。