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推し活のススメ

◯推しがいること=羨ましい!?
 
「推しがいる」ということを、「いいな〜。私も推しが欲しい。」と言われることが、圧倒的に増えた。ここ数年の大きな変化だと思う。
一昔前は私自身、推しがいるということを公にしなかった。何かの拍子に伝えてしまった場合にも、「へ〜そうなんだ〜」と、微妙な雰囲気になることが多く、正直伝えるメリットがなかった。
しかし、ここ数年で推し文化への風向きが変わり、「推しがいること=羨ましい」という流れにまで至っているのである。

◯推しがいることで、潤う生活
 
「推しがいること=羨ましい」とまでなったのは、推しをもつ人は「楽しそうに過ごしている」という風に見えるようになってきたのではないだろうか。
そんな、人から楽しそうに過ごしていると見えている私自身は、「推しは生活に潤いをくれる」と思って過ごしている。
正直、推しがいなくても、生きていくことはできる。でも、推しがいると、生活に潤いが生まれてくる。

 潤い、という表現が伝わりずらいかもしれない。もう少し深掘りしてみると、「自分自身のことでなく、自分に関係ない部分で、自分の気持ちが高められる」という感じ。自分に関係ない、というところがミソな気がしている。
自分の生活がパッとしない時でも、推しが何かしてくれるだけで、自分の生活にパッと明かりが生まれる感じ。自分の生活が水々しくなっていくような感覚かもしれない。

◯「好き」という感情に理由はない。
 
「推す」ということは、「好き」ということである。
推しについて、「なんで好きなの?」とよく聞かれる。「パフォーマンスが最高」とか、「努力してる姿にグッとくる」とか、伝えられる理由はいつくもある。
でも、今世の中にはたくさんのアイドルやアーティストがいるし、自分の推しと似たような系統の人たちもいるのだとは思う。
だから、究極的に言えば、「好きになってしまったから、好き」なのだ。好きになるのに、理由なんてない。

◯「好き」になる才能?
 
推しをもたない人たちからは、「そんなに好きになれるものがあるってすごい!」と言ってもらえたりする。
これに関してはありがたい限りで、自分は『夢中になって好きになれる対象が見つかった』という、ただそれだけのことだと思う。
強いて言えば、何かを激しく好きになる才能がある、とも言えるのかもしれない。でも、これは恋と同じで、コントロールできるものでもないので、なんとも言えないというのが正直なところだ。

◯推しへの好きは、最大の愛。
 
推すことと恋愛に違いがあるかは、人による気がする。
私自身が感じているのは、推しへの好きは、
・見返りを求めない。
・存在してくれているだけでいい。
というものだ。
こうやって冷静に考えると、推しへの好きは、この世で1番、「愛」に近いような気もしてくる。存在してくれるだけでいい。まさに存在愛。究極の愛の形と言える。…のかもしれない。

◯「推しは推せる時に推せ」
 
最後に、推し文化界隈で、大事にされている言葉を紹介して終わりにしようと思う。

 「推しは、推せる時に推せ」

どんな対象の推しであっても、永遠に存在するとは言えない。
いつ表舞台から去る選択をしたり、応援することができない状態になったりするか、分からない。
推す、という行為はいつでもできるわけではなく、「今の推し」は、今しか推せないのだ。
だから、後悔しないためにも、私たちは今、全力で推す。

 以上、推し活のススメをご紹介した。少しでも推し活への理解と興味が進んだら、嬉しい限りである。

●ふぅ