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経営日記 240915

生き方を大別すると、クリエイターとしての生き方、プレイヤーとしての生き方に大別することができます。クリエイターとプレイヤーの生き方を組み合わせて人生というのは、形成されているということですよね。クリエイターというのは、別に何か作品を作るだけに留まらず、創造主としての生き方ということです。あらゆる状況・状態を創造する主体としてとらえています。プレイヤーというのは、誰かが創造した世界の中で、活動する主体としてとらえています。ゲームを作る側と、ゲームをプレイする側。この2種類に大別することができるのですよね。もちろん、クリエイターとして何か商品を作るということもあるでしょうし、誰かの作った作品を買って自分がプレイヤーとして、その道具を使うということもありますよね。このクリエイターとプレイヤーの相互依存関係で人間社会というのは成り立っているのです。これは刺激と反応とも分けられます。どのような刺激をクリエートするのか、それらの刺激に対して、どのようにプレイするのかですね。

人生の質というのは、クリエートの質xプレイの質の掛け算で決まるということになります。私たちは、創造力と対応力の両方が求められるということですね。クリエイティブスキルとプレイヤースキルの二軸で能力開発できれば、複雑な人間の能力、生き方の質向上、QOL向上の問題を分解して、解決策が見えやすくなってくるということになります。誰しも楽しい魅力的な世界を創造する力があり、誰かの創造した世界を遊ぶことができるということですね。プレイって遊ぶということですからね。私の世界には、働くという概念はないです。苦痛が伴うのは、創造された世界が楽しめるデザインではないということだけなのです。本来は苦痛さえ、楽しいものなのです。世界の創造主が詰まらない、苦痛だらけの設計にしただけなのですよね。楽しくて、楽な世界というも設計できたはずなんですよね。そうなっていない理由があるということですよね。あるいは、プレイヤーがその世界を楽しめるほどの能力が不足しているかですね。生きていて、わくわく、楽しく、エンジョイできない理由は、クリエイターの腕の問題か、プレイヤーの腕の問題なのかどちらしかないのですよね。こう考えるととても世の中の複雑な問題、人生を楽しむための問題を明確にすることができますよね。

究極的には、クリエイタースキルとプレイヤースキルがちょうどよいバランスで設計されているときに、楽しい世界になります。これは、ゲームクリエイターが考えるべき視点なのですよね。ゲームクリエイターといのは、プレイヤーが楽しめるように設計する人のことですが、クリエイター側は、皆がプレイを楽しめるように設計して、プレイヤーはどのワールドを選択するのか、腕を磨くことでプレイを楽しめるようにするという方向感になるのですよね。世界はこのような構造をもっていると理解しておけばよいでしょうね。

創造主である神様が作ったこの宇宙という世界をベースに人間が小宇宙というか、世界を創造しているのですよね。国家、社会、商品などを創造しているのですよね。私たちプレイヤーは、どの世界に属しても良いのです。世界を選択して、プレイする。そして、人生を楽しむというのが重要ですよね。
なので、糞のクリエイターが作った世界で、生まれ育ち、他のクリエイターが作った世界を知らない子供というのは、非常に不幸ですよね。私たちはどのような立場から生まれたとしても、世界を自由に選択して、自由にプレイできる権利があるのです。この事実に気づいているのか、気づいていないのかで大きく、人生の幸福度は異なる気がしますよね。どうプレイしたって不幸になるワールド設計ってあると思うのですよね。もっとも頭の良いクリエイターが作った世界の中にポジションを置かないといけませんよね。そうしないと糞みたいなワールドでいくら上手に立ち回ったとしても幸福にはなれませんからね。ワールドの選択というのは、プレイ内容よりも幸福度を上げる上では重視されます。ワールド選択とプレイ。本質的にはこの二つに二分されますよね。ワールド側をどうにかしないとどうしようもないということってあると思うのですよね。プレイでは、どうしようもないということがありますからね。ワールドをプレイヤーが影響を与えて改善することはできたとしても、改革はできませんよね。プレイヤー側から、ワールドを書き換えるためには、クリエイターに働きかけて、ワールドを改修してもらうしかありません。プレイヤーは、クリエイターの作った世界に依存せざるを得ないのですよね。プレイヤーはあくまでクリエイターに相談しないとワールドは書き換えられないというのがポイントですよね。あくまでプレイヤーは、プレイヤーとして立ち回るしかありません。もちろん、プレイヤーがプレイを許されている領域でのクリエイトは可能ですけどね。さらに下位のワールドしか書き換えられない、上位のワールドへは上位ワールドの管理しているアドミンクリエイターに相談しないといけないということですよね。夫婦であれば、家庭がワールドでしょうし。会社に所属しているのであれば、職場がワールドです。地域に所属していれば、近所がワールドですし、もっと大きく、国家というワールドもあります。当然、世界というワールドもありますし、宇宙というワールドもありますよね。宇宙というワールドのアドミンクリエイターは、神様ということになりますよね。

以前から、書籍を書きたいと考えていて、概念整理を頑張ってきたのですが、重要概念は、アドミニストレーター、クリエイター、プレイヤー、ワールドセレクションですよね。アドミニストレーターは時間を使うワールド(空間)を管理しているもの。あるいは所有者、クリエイターは時間を使うワールド(空間)を創造する立場、プレイヤーはワールドで活動する立場です。そして、それぞれの立場でディシジョン・メイキングしていくという世界観です。ディシジョンメイキングしていくうえで重要になるのは、ストーリー(物語)、ロジック(論理)、エモーション(感情)です。この三つが大切ですよね。これらの整合性を取りながらディシジョン・メイキングしていくのが人生であるということですね。私が主張したいのは、これらのリソースは時間ということなんですよね。金ではありません。時間なのです。みんなで時間を使って、良い時間を作るために活動しているのですよね。

時間を有効に活用するために、お金という媒体物を使って、時間を買っているというイメージですよね。労働力なども同じことです。時間というのは、命、人生とイコールですからね。時間をどのように管理、創造、活用するのかということが問われているわけですよね。時間を重視した意思決定にならなければ何の意味もありません。人生に向き合うというのは、イコール時間に向き合うということになると思います。時間をどのように過ごすのかは、人生をどう生きるのかと同じ意味ですからね。どういう時間にするのか?を考えないといけませんよね。

ワールドセレクションとタイムセレクションとどっちが良いのか?生き方を問うのであれば、タイムセレクションといった方が良いかもしれませんよね。ワールドセレクションというのは、なんとなく環境に依存した考え方になりますからね。とはいえ、時間とすると何か違和感はありますけどね。世界という言葉にするのか、時間という言葉にこだわるかということですよね。時間にこだわった方が緊張感はありますけどね。そして、幸福な時間を創造する、不幸な時間を創造するといったように、明確にイメージしやすくなりますけどね。時間か、世界か、このあたりは今後考えていきたいですよね。

思考というのは、最高のアディクションであると最近読んだ本で筆者が主張していましたよね。考えることというのは、悩みを解決するごとに快楽を伴うということですよね。思索というのは、とても面白い。思索にふけることが最高の趣味でもあるといえますよね。思索に耽ることが一番コストパフォーマンスも良いです。お金もかかりませんし、自分の人生の質を高めることにもつながりますからね。お金はかかりませんが、最高の娯楽、趣味嗜好です。思索を深めることが、人生の中で最高の娯楽ですね。多くの人がもっと思索の旅に興味を持つということになればよいですけどね。情報収集も面白いですよ。頭を使うことって本来はとても面白いことなんですよね。人間にしかできないことですからね。人間として生まれてきたからには頭を使いたいですよね。頭を使った楽しみ方を「知的遊戯」と呼ぶそうですね。やや、皮肉めいたニュアンスを含むので、何が別の用語を作った方が良いように思いますが、知的遊戯で頭脳を鍛えるというのは、とても面白いですよね。知的遊戯というくらいなので、とても楽しいのですよね。

難しい本を読む。難しい問題を解く。やったことのない創作を行う。コミュニケーションを行う。これらはすべて知的遊戯ですよね。知的活動をネガティブにとらえる人が多いのですが、問題が解けたとき、理解ができなかった用語が理解できたとき、など快感は得られます。このような快感を知らない人が多いのですよね。この快感を知ってしまえば、思考中毒になりますよ。私は思考中毒者ですよね。私はコーヒービジネスをやっていますが、思考を活性化するための食材がコーヒーなんですよね。なので、思考中毒をサポートする食材としてコーヒーを扱っているのですよね。私は思考中毒なのです。思考を巡らせることがとても大好きで、いくらでも時間を投下してしまいます。情報収集して、新しい刺激を受けて、また思考をしたくなるのですよね。私は衣食住に加えて、思考が続けられる状態ができるのであれば、生きていけますね。思考さえできれば、幸せなのですよね。思考することで、幸福になるということですよね。私の幸せの在り方というのは、考え続けることです。難しい問題を考えて、それを解く。これを繰り返すことが幸せなのです。私はこういう生き方ですよね。皆さんも共感してくれる人もいるんじゃないかと思うのです。

さっき、知的遊戯という言葉が皮肉めいた言葉であるという話をしました。私は「思考遊戯」と呼びたいですよね。知的遊戯というと、上から目線な感じがしますよね。そうじゃなくて、思考遊戯なのだと。いろいろなことに思いを巡らせて、考えることが幸せなのだという世界観ですね。「思考遊戯を通じて、幸せな人生を創造すること」これが私の世界観の中でもとても重要な言葉かもしれませんね。思考遊戯というのは、情報空間の中の話です。しかし、情報空間の中の話と物理空間というのは、連続していますから思考遊戯を深めることで、当然ですけど物理空間にもアクセスできるので、思考遊戯が、物思いにふけって何も世の中に影響を与えないというわけではありません。思考遊戯を通じて、情報空間の認識を深めて、実際の物理空間にも影響を与えて頭の中と頭の外の両方を良い状態にしていこうということが目的になければ、ただ、瞑想して洞窟にこもっている人の何ら変わりありません。問題が起きたり、絶体絶命、逆境に陥った時に前向きでいられるのは、「思考を楽しめるから」ですよね。思考遊戯という考え方がなければ、きついときに、前向きに人生に向き合うことは不可能なんですよね。思考遊戯という考え方があれば、苦境に立てばたつほど、難解な問題ということで、頭を使い、挑戦を楽しめますよね。思考遊戯というポジションを持たないと、人生は苦痛に満ちてしまうことになると思いますよね。

思考を楽しむという人間だけに許された行為。これをもっと楽しんで人生を豊かにしましょうということなんです。思考することってタダですからね。お金をかけなくても楽しめるんですよね。娯楽というとお金をかけるのが当たり前ですよね。嗜好品なんて良質なものほど高額になるじゃないですか。しかし、インターネットさえ引いていれば、今や思考娯楽の領域は、無料ですからね。いくらでも情報は無料で手に入る状態なのですよね。このような状態の中で、思考を楽しまないなんて、コスパが悪すぎる人生だと思いますよね。思考を楽しんでいない人は、経済観念がないのかな?とさえ思います。無料で最高品質の情報が無料で落ちているわけですから、使わない手はないと思いますよね。昔から、図書館などに行けば、いくらでも思考娯楽の材料は落ちていたわけです。頭の良い人、本当の意味で経済的な人は、皆図書館に行って思考遊戯を楽しんでいたと思いますよ。

思考遊戯という視点で物事をとらえると、経済の動向も理解できるようになります。昔は、思考遊戯の最たるものは、宗教だったのですよね。空海や最澄など、頭の良い人たちは宗教の世界に入っていたのですよ。大問題を起こした宗教団体の幹部もすさまじく頭が良い人たちが多かったですよね。それくらい思考遊戯というのは魅力的で、頭の良い人たちは、皆宗教に行ったのですよね。そして、時代が変わり、頭の良い人たちは、ITなどのテック系に行き、AIなどの開発に従事しているわけです。また、経営やトレードなど思考遊戯の評価がそのまま報酬に直結することに力を入れていますよね。ただ、どの時代も高給取りで、生活水準の高い生活を送っている人というのは、思考遊戯を楽しめる人ですよね。よくお金持ちがお金で狂って不幸になる人はいますが、それはお金を使って便利になりすぎて、思考することを忘れてしまう、他の人に任せてしまって、思考遊戯そのものを楽しめなくなってしまった人が、騙されて失敗しているだけです。思考遊戯という楽しみ方だけは人生で手放してはいけないのですよね。

思考遊戯から現実世界を楽しむというのは、人間だけに与えられた娯楽です。人間としての幸せを考えるならば、人生をベースとして思考遊戯で楽しみ幸福になるという道筋が一番、無理がないですし、思考遊戯で楽しむことにはお金もかかりませんし、誰でもすぐに始められるので良いと思うのですよね。本当に参加資格も何もありませんからね。誰でもできます。株式トレードなんかも数万円あれば、レバレッジをかけて楽しめますからね。思考遊戯を通じて、報酬を得ることも当然できます。今の時代は、思考遊戯がもっとも楽しめる時代になっているのではないかと思いますよね。何か困ったことがあったら、AIに聞けばよいですし、ベースをそろえるにはYOUTUBEなどで教えてくれる動画っていくらでもありますからね。こんなに思考遊戯を楽しめる時代は、いまだかつてありませんでしたよね。

私も今後の活動は、経営とか、トレードとかも良いかもしれませんけど、「思考遊戯を通じて、幸福な人生を実現する生き方」を普及する活動に切り替えていきますかね。経営・トレード・デザイン・クリエイト・宗教哲学・などすべては思考遊戯の話ですからね。経営なんていうのもお金が目的ではないことに最近気づいましたよ。思考遊戯の材料が欲しいだけなのです。思考遊戯で報酬が得られるなんて最高だねということで、ビジネス、経営、トレードをやっているだけですからね。思考遊戯で幸福感を得るために、経営、トレード、セールス、コンサルティングなどのビジネスをやっているだけです。すべては思考遊戯の材料であり、幸福感を得るための材料なのです。

Well Desing.の経営理念がようやく固まりましたね。「思考遊戯を通じて、幸福を実現する」これが私の活動の根幹ですね。そして、思考遊戯の中核的な価値観が意思決定ですね。これは私は自信をもって、他の人におすすめすることができますよね。Well Desing.とは、Well-beingをデザインするということでしたが、思考遊戯を通じて、幸福を実現するビジネスをやるということですよね。Youtubeとか、noteとか、いろいろな方法で思考遊戯の材料を出すことができるでしょうね。経営・トレード、人生は思考を楽しめると、本当に楽しいですからね。エンジニアリングも結局は思考遊戯の最たるものですからね。クリエイション、セールス、マーケティングもすべて思考遊戯の材料ですよね。こんな簡単なことに気づかなかったなんて。私の幸福の源は、思考遊戯ですよね。他の幸せそうな人たちも思考遊戯を楽しんでいるのです。そのための、手段、材料が現実世界から沸き起こる問題なのですよ。現実世界というのは、思考遊戯をするためのクイズを発生させる装置のような位置づけになるということですよね。思考を楽しめると人生は楽しめる。これは間違いないメッセージです。


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