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経営日記 240912

人材開発・組織開発コンサルティングの文脈の中で、重要な概念として「コンテントとプロセス」というものがあります。コンテントというのは、会議の中で話合われている話題、あるいは今、取り組もうとしている課題のことです。話していることすべてがコンテントということができるでしょう。一方で、プロセスというのは、考え方・とらえ方・姿勢などコンテントに対する「向き合い方」です。いくら適切な経営課題について対話がなされていたとしても、それぞれの経営課題への向き合い方が、本気でない場合、誰か別の人たちがやるだろうと考えていれば、当然ですが課題遂行はなされません。このように課題への向き合い方について指導・気づきを与える役割をもっているのがプロセスコンサルティングという領域なのです。ある種、問題の真因といえます。プロセスコンサルタントは、クライアント組織に現実への向き合い方を指導する仕事であると言い換えることができます。

例えば、専門知識が必要になる複雑な問題を与えて、ある受講者が難しかったのでできませんでしたと問題から逃げたとします。本来であれば、言葉の意味を調べて、問題の解き方をいろいろ調べる中で、解決していく必要があります。しかし、逃げ出したとしたら問題は解決することはできませんよね。これは研修の中の課題に向き合わないというだけではなく、本物の経営課題にも同じような向き合い方になります。人間が課題に向き合う際には、個々のパターンがあるのですね。人間は自分が難しいと感じたとき、自分の有能感が傷つけられて嫌な感情を引き起こし現実から目をそらすような反応を示します。これは、心理学用語で「防衛反応・防衛機制」と呼びます。この防衛反応を繰り返している限りは、人間は現実に向き合うことはできません。これが組織から問題がなくならない真因なのです。

今日一緒に仕事をしていたコンサルタントからも大きな学びを得ました。その人は人に対する対応がとても暖かいのですが、彼が話した言葉が「善行は循環する」という言葉です。
人が善い行いをすると、その善い行いがめぐりめぐって人々の社会を豊かにするということですよね。情けは人のためならず。これも自分の行いが自分に返ってくることを指す言葉です。自分自身が善行を行うことで、善行が循環するという世界観で、人生に向き合っている人とそうでない人ではパフォーマンスに雲泥の差がでるのは必然のことと思われます。

同じ境遇に置かれているにも関わらず、人によって行動が全く異なります。ソ連のヒトラー時代のアウシュビッツ刑務所を舞台とした『夜と霧』では、絶望的な状況に置かれた囚人たちの反応がいくつかのパターンに分かれることを発見しました。

1.無感覚化(感情のマヒ)
反応パターン:収容所での過酷な環境や日常的な暴力に対して感情がマヒし、無感覚になる。
理由:精神的な防衛機制として、過度の苦痛や恐怖に対して感情的な反応を抑えることにより、精神の安定を保とうとした。(乖離・現実逃避)

2.希望の保持
反応パターン:将来に対する希望を捨てず、家族や自由の回復を夢見て生き抜こうとする。
理由:生きる意味を見出すことで、精神的な強さを保ち、絶望的な状況にあらがうことができた。著者のヴィクトールフランクルは、アウシュビッツの出来事を後世に残すために、生き残り、「夜と霧」の本を執筆することを使命として、生きる希望とした。

3.放棄絶望
反応パターン:完全に希望を失い、自暴自棄になり、行動する意欲を失う。多くの場合、死に至る。
理由:極限状態において、未来に対する期待を持てなくなることで、心が折れ、生存意欲がなくなる。

4.適応(強制的順応)
反応パターン:収容所の非人間的な環境に適応し、規律に従い、与えられた役割をなす。
理由:環境に順応することで、できる限り生存を確保しようとする本能的な反応。

5.ユーモアや宗教への依存
反応パターン:厳しい状況下でも、ユーモアを見つけようとしたり、宗教的信仰に依存して心の安らぎを求める。
理由:精神的な救済や超越的な力を信じることで、日常の苦痛から一時的に開放されようとした。

6.他者への奉仕や助け合い
反応パターン:ほかの囚人を助けたり、励ましたりすることで、自らの苦しみを和らげる。
理由:他者との苦しみを乗り越えるための動機づけとなった。

7.病的な無関心
反応パターン:他人の苦しみに無関心となり、周囲の人々が傷ついたり死んだりしても反応しなくなる。
理由:過酷な環境の中で、生存本能が優先され、他者への共感が薄れることで自己を守るための防衛反応。

これらは、同じように過酷な環境に置かれた時の人間の反応の違いを表しています。これらは、人生に対する向き合い方の違いによって引き起こされます。夜と霧では、極限状態における囚人の生活に向き合った時の反応でしたが、ここまで大きな事柄でなくとも、人に対する向き合い方はどうでしょうか?人間関係がうまくいっていない人というのは、往々にしてお互いに人間に対する向き合い方がおかしいのです。現実との向き合い方について考えるのが超上流工程なのですよね。この部分が変わらなければ、人間の生き方は変わりません。

自分の価値観や考え方について焦点を当てることはありますが、自分の現実との向き合い方について考察した経験のある人は多くないのではないでしょうか。例えば、仕事に対する向き合い方ひとつにとってもそうです。仕事をどのようにとらえるかによって、当然仕事への関わり方は変わりますよね。仕事を修行の場としてとらえている人は、仕事の一つの経験でも多くの学びを得るでしょうし、仕事がお金を得る場としてとらえるならば、給料が上がらないとモチベーションが低下してしまうでしょう。

物をすぐにどこかに置き忘れてくる人は、最後の確認作業が甘いのです。これも向き合い方の問題です。自分が何を持ってきていて、何をその場で展開したのか、出したものと、持って帰るものが明確になっていないのでこのような問題になるのです。まずは、何を持っているのか。そして、何をその場で出したのかを明確にしたうえで、出したものは持って帰るという意識があれば、治るはずです。そして、明確に問題が再発しない向き合い方を確立する必要があるのです。物を置き忘れてくる人の行動パターンを分析すると、片づけて帰るときに、「目につくものを片付ける」という傾向があります。目につかなかったものが置き忘れられているだけなので、もちろん、丁寧に探す作業、確認する作業を加えれば問題は起こりにくくはなるものの、目につかないものは置き忘れられるという問題の構造は変わりません。この問題は、置き忘れだけではないはずです。このような人は大きく問題をとらえるとやるべきことを忘れていた、つまり「タスク漏れ」なのですよね。タスク漏れをなくすためには、目についたものから情報処理するという仕事への向き合い方、生活への向き合い方を変える必要があるということになります。問題を忘れものではなく、タスク漏れと定義できれば、タスク管理全体の問題ということになります。タスク管理の手法が目についたものだけをモグラ叩きしているというタスクへの向き合い方に真因があることが分かります。

タスク漏れをなくすためには、事前にやることを洗い出してリスト化しておく習慣が必要になります。適切に吟味されたタスクリストがない状態で仕事を進めた場合、タスク漏れのリスクが高まるという構造を理解すればよいのです。ただし、タスクリストそのものに漏れがある可能性は否定できません。そのため、周りの人たちと声を掛け合って、タスク漏れのリスクを最小化させる工夫が必要となります。タスク漏れがなくなるタスク管理の向き合い方を完全に変更することによって、はじめて再発防止になり、良い仕事ができるようになるのです。良い仕事をしようと思えば、想像以上の手間がかかるのです。

普通は、表面的な知識・技術・意欲などで評価します。しかし、これは表に出てきているものであって本質的には人格を評価しないといけません。人格というのは、言い換えるならば、現実との向き合い方です。現実との向き合い方のことを人格と表現するのですよね。ドラッカーは、経営者やリーダーには真摯さが大切だといいました。インテグリティー。これはまさに人格主義に立ち返ろうという意味ですね。表面的な知識・技術・意欲にとらわれずに、問題への向き合い方に注目せよと言っているのです。そうすれば、間違った判断にはならないということですよね。人間を評価すべきなのは人格なのです。優秀なリーダー・経営者ほど人格を見抜く力は秀でているといえるでしょう。

人格の話もしてきましたが、何よりも大切なのは、判断ミスをしないことですね。判断、意思決定というのは、その人の人格が出てくるのです。道徳的ではない非倫理的な判断がいけないことなのです。感情的な判断というのは、時に非倫理的な判断となりえます。大切なことは、正しい意思決定を行うことです。判断を誤らないことなのです。私たちの修行というのは、「正しい意思決定を行うこと、正しい判断を行うこと、正しい決断を行うこと。」のためにあります。私が運命的に意思決定・判断・決断の講座を持つことになったのも、神様、仏様が私に重要性を理解させるために、導いたのではないかと思えてなりません。


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