#02 その人の心の内を聞いてあげるスピリチュアルケアの必要性
~過去投稿はマガジンから~
高野山での修行を終えて僧侶になった私は、看護師の仕事を再開しました。
下山した後は有髪にしてもよいのですが、
私は剃髪のまま復職することにしました。
「この姿を見た患者さんに嫌がられるかな」と思いつつ、
以前に訪問看護をしていたある患者さんの自宅を再び訪ねました。
患者さんは、私が僧侶になった詳しい事情には触れず、
「お坊さんならわかるでしょう?」と前置きして、
頬にできたシミを指しました。
「これ、お守りに見えない?」というのです。
その患者さんは、初発の時、
入院先で同室になった人からお守りをもらい、
「お守りのおかげ」で退院できたと信じています。
12年たって再発し、がんはかなり進行していましたが、
今度はお守りの形が頬に現れたというのです。
「この話を息子にしたら、バカなことをいっていると笑われちゃったけれど、お坊さんならこういう不思議な話をいっぱい知っているでしょう?」
看護師としての私には話してくれそうもないことを、
僧侶としての私には話してくれたのです。
こんな経験は初めてでしたが、
その時、もしかしたら末期にある患者さんは、体のことより自分の心の内を聞いてほしいのだと思いました。
残念ながらその患者さんは亡くなりましたが、
「お守りの形が頬に現れた」と私に話すことで多少なりとも安心することができたとしたら、
それはよいことだったと思いました。
私は、最期の迎え方は人それぞれだと考えています。
現代医療の力を借りて、
最後の1分1秒まで長く命を保つというのもその人の考え方。
一方、きわめて自然な形で最期を迎えたいというのもその人の考え方です。
どちらが正しく、どちらが間違っているというものではありません。
ただ1ついえることは、
病院に行ってしまうと、医師や看護師は懸命に治す努力をするので、
「自分はこうしたい」という最期の迎え方の選択肢が狭まってしまいます。
ホスピスができ、
患者の意志を尊重する空気もできあがり、
最近になって最期の迎え方の選択肢が増えました。
ようやく日本も自分の最期をどのように迎えたいかを前向きに考えられる時代になってきました。
しかし、最期を迎えつつあるその人の意志を尊重するという点では、
まだ日本は発展途上にあります。
もっと患者さんの意志が優先されるべきであり、
患者さんの心をケアするスピリチュアルケアに従事する専門家の育成も必要です。
私はその必要性を強く感じ、スピリチュアルケアの実践者を養成する機関として、2019年に大慈学苑を立ち上げたのです。
※本コンテンツはCOCORO 38号をもとに再構成しています
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著者プロフィール
玉置 妙憂(たまおき みょうゆう)
看護師・僧侶・スピリチュアルケア師・ケアマネ-ジャー・看護教員
東京都中野区生まれ。専修大学法学部卒業。国際医療福祉大学大学院修士課程保健医療学看護管理専攻看護管理学修士。
夫の“自然死”という死にざまがあまりに美しかったことから開眼し出家。
高野山での修行を経て高野山真言宗阿闍梨となる。現在は非営利一般社団法人「大慈学苑」を設立し、終末期からひきこもり、不登校、子育て、希死念慮、自死ご遺族まで幅広く対象としたスピリチュアルケア活動を実施している。
また、子世代が親の介護と看取りについて学ぶ「養老指南塾」や、看護師、ケアマネジャー、介護士、僧侶をはじめスピリチュアルケアに興味のある人が学ぶ「訪問スピリチュアルケア専門講座」「訪問スピリチュアルケア専門オンライン講座」等を開催。
さらに、講演会やシンポジウムなどで幅広くスピリチュアルケア啓発活動に努めている。
著書『まずは、あなたのコップを満たしましょう』(飛鳥新社)『困ったら、やめる。迷ったら、離れる。』(大和出版)『死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア 』(光文社新書)、他多数。
ラジオニッポン放送「テレフォン人生相談」パーソナリティ。