あやこ☆
先日、母の一周忌の法要をすませました。 なんと、前回の投稿は母がまだ生きていてたので、1年以上前の事。 随分、文章を書いてなかった。 書かなかった。というよりは書けなかった。が正しいか…。 前々回の魂の成長の話22話のお話は 病気は抑圧した感情によって作り出される。つまり、心と体は繋がっている。 という気付きで終わっている。 この時、病気は抑圧した感情から作られるなら心と身体、両方をケアできるセラピストになろう。そう決めて、模索して模索して辿り着いたのが、アロマ音叉®
母がまもなく地球から旅立とうとしています。 約一ヶ月前、医師から余命宣告を受けた時には もっとお母さんに甘えたかったなー。とか 私はどれだけ母を愛しているかを伝えられた?とか 一人でいると、そんな事が色々と湧いてきて、言葉にならない思いが出て嗚咽が出てしまう。 その事をセラピストの仲間に話たら、 最後に私が私に寄り添う時間を持たせてくれているのもお母さんの愛だね。と言ってもらって。 ホントにねぇ。 最後の最後まで家族想いの人だ。 と書いてる側から涙がでる。 こん
再受講した講座は、私にとってはひとつのターニングポイントだった。 1度目は、皆についていくのが必死で全然自分の事を深堀りできていなかった。と言う事に気付く。なんていうか…自分の中に抑圧している事があるんだな。を確認しに行った程度だった。 2度目の受講で、やっと自分の感情の蓋を開ける事が出来たのだ。受講して半年程度たった時の授業だった。テーマは【コンプレックス】 コンプレックスと聞くと一般的に、 ・背が小さい。 ・太ってる ・声が変 みたいな自分自身をネガティブ
クエストアートセラピスト養成講座。(当時は。今は別の名前かも。) セラピスト養成講座の内容は とことん自分を知ること。だった。 それは 『自分で自分を癒せなくてどうして他人を癒せようか』 というところから。 この考えは今の私の基盤にもなっている。 ユング心理学をベースに、自分の事を掘り下げていく作業は、なかなかに辛い事もあったけれど、一緒に過ごしてくれた仲間と講師陣に助けられ、なんとか1年すごした。 生きる事が精一杯だった私に生きる活力を与えてもらった。 そして、
先ずは、無料説明会に参加してみよう! そんな軽いノリで、クエスト総合研究所というアートセラピスト養成スクールの説明会に参加。 都内の大井町だったかなー? 部屋に通されると画用紙とオイルパステルが机に用意してあった。 ある程度概要を聞いたあと、 簡単なアートタイム。 そこで、グチャグチャ描をしてみましょう。という説明をされて画用紙にグチャグチャかいてみた。 その日はたまたま(か、もしくは当時は必ず参加していてのか…)理事の柴崎先生(以下しばしば)も説明会に参加していた
リタリン飲み始めて、2年位経った頃だろうか…。私にとっては衝撃ニュース。 毎日新聞が取り上げたのがキッカケだったらしい。(というのは今回この事を書くにあたって調べ直して知った。) 当時、TVのニュースで、リタリンの乱用。合法ドラッグ。という話題を耳にする。 ん?合法ドラッグ?? 私、リタリン飲んでるんですけど…。 それまで、自分が飲んでいる物がどんな物なのか?なんて疑問を抱いた事は無かった。 だって、お医者さんがこれ飲めば大丈夫!って言ってるんだもん!! でも、私、
20歳、青春真っただ中なハズの春は就職活動を失敗し社会人にはなれず、短大も卒業してなんの肩書も持たないまま迎えた。 学生時代、忙しくて発症した鬱はナルコレプシーと併発してまぁまぁ酷かったかと(笑) 朝、起きれない。 いつも頭がボーっとしていて頭痛もしょっちゅう。 めまい。 身体中むくんでダルい。 何食べても美味しくない。 TVとか観ていて変な笑い方する。(感情コントロールが出来てない) いつも誰かに見られている様な強迫観念。 鼻血が止まらない。からの貧血。 (これは子供の
ナルコレプシーの症状が強くなって、いよいよ私の身体はどこかおかしい?? と思い始めたのは高2の夏。 やっとの思いで、母に相談したのは高3の冬。 そして、わたしがナルコレプシーという病名を初めて知ったのは短大の頃。 キッカケは、ある日実家のテーブルに可愛い花がらの小さめのノートが置いてあって。 何かの景品かしら?可愛いから貰いたいな~。位の気持ちで手に取ってパラパラっとめくると母のダイアリーだった。 え?お母さん、手帳なんてつけるんだ?! 良くないとは思いつつペラペラ
今思えば、この頃が私のターニングポイントだった。 受験で失敗して、とある短大に進学した私。 そう、短大なので、学生生活は2年しかない。 その2年で私はちょっと欲張り過ぎた(笑) 当時、インテリアの仕事に憧れてデザイン系の学科だった。なので、課題提出がハンパない。来週迄にこの作品。今月中にこの作品。ってな具合に次から次へと課題に追われる。 学業に専念すればよかったのかもしれない。 誰に言われた訳でもないのに、高校卒業したら学費は出して貰えども、自分で遊ぶお小遣い的な物
家族なのに、親子なのに本音をいい合えない。という関係があった私達。 明らかに自分のカラダがおかしい…。 そう気付いたものの、暫く誰にも相談出来ずにいた。なんて説明したら良いか分からない。というのもあったけれど。自分の不安を声に出す事が難しかった。 そんな時、新聞に【てんかん】について書かれている記事を見つけた。その記事を読む限り、私の症状によく似ている気がして、その新聞記事を母に見せながら、私はもしかしたらこの病気なんじゃないか?と相談した。 そんな母の反応は思いもよら
心理学を勉強し始めるとまず最初に顕在意識と潜在意識について勉強する。顕在意識とは、自分の脳が記憶していて自分自身が認識している部分。潜在意識とは自分自身では気が付いていない,、もしくは認識できていない部分。(ざっっくり過ぎてごめんなさい。) 一般的に顕在意識3%:潜在意識97%の割合だと言われる。 人間の脳は自分に都合の悪いこと・嫌な事は忘れてしまう。もしくはあまり記憶できないようになっているらしい。 ただし、脳が記憶できなくても体の細胞のどこかでは覚えているし、潜在意
子供の頃から【男の人】が苦手だ。 苦手というか、怖かった。 勿論、男の子の友達なんていなかった。 (今でもウチら友達だよね?!って共通認識を持っている人は一人しか居ない。あ、どうしよう、彼がそう思ってなかったら0だ。(笑)) 幼い頃は、ただ怖い。の感情が先立ってあまり近寄らなかったが、小学校4年生。まだ、思春期というには少し早い年の頃に起きたある出来事がキッカケで 男の人は怖いし気持ち悪い。になった。 この男性に対するネガティブ感情がひとつ前の記事で書いた過去世から
HSPという言葉をご存じだろうか? https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ハイリー・センシティブ・パーソン https://blog.ncbank.co.jp/posts/119 この言葉が世間に広がり始めたのは、本当につい最近の事だと思う。私も、この4月の自粛期間中に知ったばかりだ。日本では繊細さん。なんて呼ばれたりもしているみたい。 感覚過敏とか、感性が強い。という特質を持って産まれて来た為、世の中に順応し辛かったり生き辛かったりする。 そ
人が病気になるのは【魂からのメッセージ】だと私は思っている。 では、何故私は【ナルコレプシー】というちょっと面倒くさい病気になったのか? そこにどんなメッセージがあるのか?がずっと分からないでいた。 子供の頃の私は物心ついた頃には、『私は橋の下で拾われて来た子かもしれない…つまり、愛されていない子なんじゃないか?』という不安を抱えていた。 どうしてそう思ったか、明確ではないが多分従兄弟のお兄ちゃんが冗談でそんな事を私に吹き込んだ気がする。(違ってたらお兄ちゃんゴメン)
母と娘VSが終わって父との確執を先か病気と向き合ったことが先か…考えていたら、ここが切り離せない話だという衝撃事実に今頃気づく。 というわけで、ここから『父と娘と病気VS』始まりです! 多分、私はお父さんのことが大好きだと思う。 たぶんじゃない、絶対に。 だけど、大好きな故に、恨みもある。 私はこんなに大好きなのに。 どうして私の事を愛してくれないの? でもそれは、勘違いで。 その勘違いが歪んで歪んで、私の体は病気になった。
泣きながら怒るというカオスな状態の私を見た、両親の反応はわかりやすかった。 父はその場から居なくなり、母はプイっと横を向いた。まるで、子供が拗ねたみたいに。 その時母が言ったのは、 「お母さんは民間療法とか信じないの。西洋医学の治療しかするつもりはない。」 それを聞いて私は 『あぁ、母は向き合いたくないんだな。』 と思った。 私自身は、癌を治すためには母と向き合うことが何よりの治療だ! 向き合わなくちゃ‼!と意気込んでみたものの、当の本人はそれをしたくないのだ