2024/11/22(Fri)
今日も仕事へ。
なんだか最近無性に人生に対して焦りを感じはじめてる。
このまま毎日仕事を続けて、少ない休日で心身を癒すことに時間を費やし、SNSで流れてくるメディアや情報をただ何も考えずに享受して、時間になったらまた仕事に行く。
そんな繰り返しの毎日がこれからずっと続くのかと思うとぞっとする。
スマホの台頭と同時にSNSが普及してから、自分が消費されていると感じるようになった。
画面の向こう側の誰かが発する情報を受け取り、流行りのカフェに行き、流行りのファッション、流行りの顔、流行りの音楽情報を浴びせられる。
人を惹きつけるために巧みに作られた情報は、刺激的で中毒性がある上に簡単に手に入ってしまう。
でも、その情報を享受したあと自分に残るものは一体なんだろう?
スマホゲームでいくら畑を耕したって終わってみて残るのは費やした時間だけ。
ガンジーの言葉で
という言葉がある。
忙殺される日々の中で見失いがちになってしまうけど、何かをする時ちゃんとそれは自分の内側から生まれるものなのか立ち返らないといけないな、と強く思う。
もちろん人から見て無意味なことをする時もあると思うけど、それが自分の意思で選んだことなら、その積み重ねこそが本来の自分を形成していく核になっていくんじゃないだろうか。
最近SNS断ちをして感じたのは、一日の中に余白が生まれたという感覚。
これまでは、一瞬でも暇な時間があると目的もなくTwitterを開いて、ただタイムラインをスクロールして小さな空き時間にも求めていない情報を脳に詰め込んでた。
でもアプリを消してからは、暇になった時ついスマホは開いてしまうものの「あ、そうだアプリ消したんだった。じゃあ何をしよう?」と一度自分の脳で考える余白が生まれるようになった。
そして意外とやることが思いつくことに自分でも驚いた。
読みかけの本を読もう、とか写真の整理をしよう、とか軽くストレッチしようとか、なんならぼーっとしようとか、大したことではないけど、前よりも自分の内側から声が聞こえるようになった気がする。
何者にもなれなくていい、ただ全身全霊自分を生きていたいと、このブログを書きながら改めて思いました。
ここで一曲お届けします。
hi-posiさんの「僕でありたい」
この曲をお守りにして生きていきたい。
それでは今日の夕飯です。
これとカプレーゼを作った。
なんと作ってる途中でトマト缶が無いことに気付いてワオ!ってなったけど、ケチャップ大2、ソース大1、トマトペースト2絞りでなんとかなったしとても美味しかったです。確実に料理の偏差値が上がっている自分に震えたぜ、、、。
ご飯を作り終えてから恋人が帰宅するまで時間があったので映画も一本観た。
これはきっと誰かの叫びなんだ、と思った。これを作ろうと思った人の想いとかメッセージがダイレクトに伝わってきてすごくすごく良かった。こんな映画にたくさん出会いたい。
ここにいていいんだ、と思えることって本当に本当に救いになるよね。私ももう一人で暮らしていた頃には戻れないと思う。
少し話が脱線するけど、ちょうどこの日の仕事終わりに話したことのない職場の人に帰り呼び止められて何故か駅まで一緒に歩き別れ際に連絡先を聞かれた。
私はまず最初に「あーあ」と思った。
職場で大人しく平穏に過ごしていて、このまま平和な毎日が続くように自分でも配慮しながら生きていたのに、台無しだよ、と思った。
男性に、それも話したこともない人に向けられる好意。
自分に限らず、例えば誰かが「あの人かわいい」と言えば「そうか?そこそこだろ」とか「やっぱりそんなにかわいくなかった」とかを好き勝手に言われるのを31年間生きてきて嫌というほど見てきた。
なんで女性はいつも男性にジャッジされる側なんだろう?と思う。もちろんそんな男性ばかりじゃないことも、女性にそういう人がいることも分かるけど、女性として生きてきて圧倒的にそういう場面が多かった。
そして何故簡単に連絡先を聞いたりできるんだろう?と思った。そして迷惑に思うとか考えないからこそ聞けるんだろう、と思った。その時点で彼が無意識に女性を下に見ているんだろう、と思ってしまった。
現に私は恋人がいて、男性と連絡を取り合いたいなんて微塵も思っていないのに、職場の人だからという理由で無下にはできない。男性の無神経さと驕りが私は大嫌いだ。(主語がでかいですが、そういったタイプの、という意味で受け取って欲しい)
そしてこれまた脱線しますが、最近自分より年下のシンガーソングライターの子をすごく好きになった。その子は執筆活動などもしており、その子が書く文章はとても魅力的で、彼女の書くブログを全て読みもっともっと彼女のことが好きになった。
そしてなんとなく彼女の名前でウェブ検索をかけた。
そうすると彼女の名前でたてられた2chのスレッドが出て来て、そこに書かれていたのは本当にひどいことばかりだった。彼女を性的に凌辱したい、というようなここには書けないようなこと。最悪、と思った。私の大事なものをすごく侮辱された気がした。そしてさらに最悪なのが、私がそれを見て彼女に嫉妬心を抱いたことだった。女として自分より優れた生き物であることということを妬んでしまう自分のことがすごく嫌だった。こんな気持ち生まれないでほしいのに。こんな気持ちが生まれないような社会になってほしいし、自分でもそんな人間になれるように努力したい。純粋に彼女のことを好きだと思っていたいんだよ。
何が言いたいかよく分からなくなってしまいましたが、そういう気持ちになった時、嫌だと思っていいんだってことと、今まで男性に対する言語化できなかったこと、してはいけないと思ってたこと、最近は少しずつ声を上げようという雰囲気になってきているのかもしれないとなんとなくこの映画を観て思いました。
その後恋人が帰ってきたので夕飯食べながら何故かMLBの凄い守備集とアル中カラカラを見るなどした。
赤ワインで最高になりました。
いつかアメリカの球場へ行って野球を見て大きな声出したりしたい。