アタマ探求から観察(ありのまま)の世界へ
こちらの画像はネドじゅんさんが
2022年3/22にTwitter(現行X)にアップされた画像です。
前回の動画でもお話していましたが、
「ないない探求」は苦しいよーーー
というお話をさせてもらっていたんですけど、
このネドじゅんさんの図でみると、、、
「頭」でやっている苦しみなんです。
・ わたしはわたしを変えなくちゃ!< 頭の中、思考 >
・ わたしは変わりたい。< 頭で感覚を感じようとしている >
アタマで変えよう変えよう(なろうなろう)としている探求
(なろうなろう、しようしよう)は
頭・左脳さんの「正しさ」から起きています。
左脳さんは【正しさ】を使ってダメダメ…としてきます。
正しさというところから
「ダメダメ、こういうことはダメ」という否定が起きてくる。
いま・ここのありのままを否定する…ということも起きてくる。
いわゆる、そのような状態が
苦しみ…です。
じゃあ、どうするか?
・ 変わりたい、変わろうという気持ちが身体にある。
< 頭から胸の方向へ感覚をかんじている >
ここから少しづつ「気づき」の世界へと入ってきます。
頭で(やろうやろう)と掴むのをやめて、、、
ただ、いまここで起きていることを、、、
かんじている…
ただ、カラダはかんじている…
ただ、かんじている、そのかんじ感覚にゆだねる…
右脳優位な領域へ突入です。
・ いろいろな気持ちが浮かんでは消える、この場がわたしだ。
< 胸の位置で感覚そのものをかんじている。 >
ここにジャッジがありません。
好き嫌い・善悪…といったアイディアや想いが
いま・ここで起きていても、、、
その ありのまま(いま・ここ)に気づいているだけ、、、
「 否定への否定もない 」
ただただ起きていることに
気づいている気づきそのもの(ありのまま)です。
ダメもダメでOK(そうかそうか、ダメがあるねえ…)です。
アタマで「修正」しようとしたり、、、
アタマで「正そう」としてみたり、、、
アタマで解決しようとする手段のひとつである
「なろうなろう、しようしよう」というアタマの動きをお休みしてみて、、、
アタマで解決しようとするのを“ためしに“やめてみる。
ただただ、いまここで起きていること・浮かんでいることに
気づいて、味わう・寄り添う、、、
OKOK、、、、🍎
「ある」なあ、、、
いまのこのかんじ感覚が「ある」なあ、、、
あるがある ないがある です。
ただ、、、、
・場が、場を感じている。
<思考が消え、胸に意識がある>
・いま・ここが、いま・ここにある。
<意識そのものが静まり、右脳意識と共鳴>
・大きな意識がわたしを生きている。
<右脳意識から本体意識と共鳴>
しようしようとしなくても、なろうなろうとしなくても
それがもう、いま・ここで起きている
そのことに気づいているだけでいい担当「わたし」
こういうことが、もうこのカラダ(イノチ)で起きている
そのことに、ただただ気づいているだけ
、、、それが「わたし」です
ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp
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