ずーっと繰り返されているやり方
“正しくない=自分にとって都合の悪いなにか”を変えようとして、そのループ♾に参加していっちゃう/繰り返すっていう現象が、何千年?ナン万年?繰り返されてる。
それを変えたいと思ってる
戦争とか、争いとかとか、そういうの。
そして、それを変えようとして
変わらないというパターン
が繰り返されている。
それが善でも悪の立場でも、
ひとつのパターン♾
を構成しているジッパヒトカラゲ
集合体。パターン。ひとつの渦。
”変えるためのアプローチ”
それを変えようとしている
そのやり方そのものが
それそのもの/それを継続させている。
だから、繰り返されている。
その「変わりたい/変えていきたい」って
そのパターン/ループ♾の中では”叶いようがない”から、そのパターンの外へ
”外れる”ことでしかない叶わない
長縄跳び♾ に参加している人数が減っていくと、
もうそれは、起こりようがない
100匹目の猿現象
“それ/そのこと”に気づかないままに、
そのまま「変えたい、変えたい」と
そのパターン/ループの中に参加しっていって
“それ”をぐるぐる継続させていく♾
そのぐるぐるを仏教とかでは
カルマって呼んでいるのだろう
そういう集合体/パターン、渦から
外れていくようなこと、
それをスピ的にいうと
次元上昇とか進化って呼ばれたりするけど
(それは、まあいいや。)
そのループ/ぐるぐるって
良し悪し優劣正誤
二元的な視点(マインド的解決)では脱せなくて、
気づくこともできなかったりする。
マインド思考で考えれば考える”ほど、マインド思考で”変えよう/解決しよう”とすればするほど、
そこにハマっていく
マインドも”それ”
二元性/ぐるぐる♾
ゆえに、慈悲の瞑想とか、許しとか、愛とか。
そういう視点/選択へと外れていかないと、
その二元性的ぐるぐる♾から外れられない
二元性的なやり方で
”解決しよう”としたり
”正そう”としたり
”変えよう”とすること
それがそれそのものであり
繰り返しているエネルギーそのもの
そのパターン/ループの中でぐるぐるしちゃう
ってことが起きてるパラドックス
内観/一人称的視点(ワンネス)でしか
平和は訪れないのだけど、
これ、ほんと、ながらく
何千年と、繰り返してる。
それをやらざるをえない、繰り返さらざるをえない現象/全体性というのは、慈悲だし、慈悲でしかないし、慈悲しかしようがない。
それが“痛み”を伴う経験だとわかっていても、
その完全性を邪魔せずに、ただ見守り、見届けるそれは。