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いま「ある」くつろぎ(書籍化のお知らせ)
いま「ある」くつろぎ
―あるが「ある」ないが「ある」
★ アマゾン販売ページはこちら
そして、2024.8/16(金曜日)より
関東圏の一部の限定書店より
先行発売がスタートします!
初版限定ポストカードに加えて
「左脳さん、右脳さん」の著者 ネドじゅんさん に描いていただいた特製ステッカーが封入された書籍がご購入いただけます(*数量限定)
![](https://assets.st-note.com/img/1723710980740-PS4ASgVaPV.jpg?width=1200)
こちらの特典本が置かれている書店リストは
以下のとおりです。
紀伊國屋書店 新宿本店
ジュンク堂書店 池袋本店
旭屋書店 池袋店
丸善 丸の内本店
書泉グランデ(神田神保町)
書泉ブックタワー(秋葉原)
ジュンク堂書店 吉祥寺店
ジュンク堂書店 立川高島屋店
ジュンク堂書店 大宮高島屋店
紀伊國屋書店 浦和パルコ店
有隣堂本店(関内)
★ 新刊購入キャンペーン情報まとめ
ウェルカムレイン☆サヤカのホームページにて
>> ウェルカムレイン☆サヤカ HP
★ 限定公開中のYouTube動画について
こちらの書籍にも書かれている
自分が「いる・いない」問題
非二元ノンデュアリティ悟りでよくでてくるテーマについてのおしゃべりしています(新刊発売にあわせた限定公開中のYouTube動画です)
いま「ある」くつろぎ
― あるが「ある」ないが「ある」
この本を読むと、
ぐるぐる・ふわふわ・ないない探求が終わります。
悟っている、悟っていない
そんな二元性のあれこれは「思考の中だけ」なんです。
だって「これ」は特別ななにかじゃない
いまの、いつもの「これ」なんだもの……。
じゃあ……あなたはなにを探しているの???
いま・ある・これを違うなにかに変えたい、
そんな「いま・ある・これへの拒絶感」そのものが苦しみです。
なんで?どうして?とぐるぐるするかわりに、
いま・ある・これ に くつろぐ。
求める――だから「ない」が生じる
探す――だから「ある」を見失う
向かう――だから「いまここにない」が生じる
いま「ある」これを避けているから
ないない探究が終わらない。
だから、いまここに「ない」なにかを求めるかわりに
いま「ある」これが 「ある」 なあ……。
↑↑リンク先はAmazonページです
2024年8/15発売 1,650円(税込)
ぜひ、お手に取って……
いま「ある」くつろぎ を味わってみてください。
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わたしが書いたり、おしゃべりしていることって、、、
アタマで理解しようとすると
「わからない」内容になっているようにもおもいます。
たとえば、わたしの書籍を読んでくださった皆様の反応として「わかるーー!」という方と「わからない…」という読み手の方の反応が見事にパッカリわかれる……そんな、どこか「 リトマス試験紙みたいな本 」を書いていたりします。
でも、わたしの書いた書籍だけでなく、非二元ノンデュアリティで語られていること全般、アタマでは「わからない」ようなところがあります。
アタマで読んでいるのか、
「かんかく」をとおして読んでいるのか。
どのような意識で、
文章をふくむ「この世界」と触れあっているのか?
多くの探求が 思考的探求(アタマでやる探求)からはじまりがちなのですが(そのようなことをこちらのホームページ内の記事でも書かせてもらっています >>サヤカ物語)なにか機械の取り扱い説明書を読むように、、、正確にそこに書かれている内容を「読みとろう・理解しよう・把握しよう」というようなアタマの動きで読もうとすると、逆に、まったく「わからない=むずかしい」となる。
そのような触れ方というよりも、、、
詩をよむような
木々や自然と触れ合うような
「 かんかく 」で触れてみる
詩歌なども、アタマで読むと「なんのこっちゃ!」というようなことが表現されていますが、どちらかというと……アタマによる理解ではなく「かんじる、あじわう」ようなものだからです。
そのような、かんかく的な触れ方をしていると、ご自身の体感や実感として味わっているものとが重なりあって「ああ、あのことか、このことか…」と、自分自身の 体内観 ともつながって じーーーーん……じゅわーーーー と「わかる」というようなことも起きてくる。
このような「かんかく」って……
アタマじゃ、わからない(=起きてこない)んです。
そういう意味では、もしかしたらアタマで「わかった」というなら、それは非二元・ノンデュアリティとして語られていることとは、まったく「別のなにか」なのかもしれません。
わたしは文章を書くとき
このニュアンス、雰囲気のような本来、
捉えどころのない“これ”
をページ全体を まっしろいキャンバス のようにとらえて表現してみているようなところがあります。
だから 行間 空白 余白 スペースも多いです。
わたし自身がびっしりと文字が並んでいる本が苦手だったりするのもありますが、びっしりとした文字は この 沈黙や静けさ と対照的なかんじがするからです。
どちらというと……
広々とした空(ソラ)という「空白」を
ぼーーーっと眺めているときのかんじ
そのようなとき……
アタマではなく
「かんかく」が優位になっていて…
アタマの動きが静まり…
シンプルさに気づいている沈黙(シンプルさ)
なんでもなさ 空(スペース)
だから、ページ/文書にもそれを再現したくなって
空白、余白という沈黙(スペース)を
表現したくなります。
空白(スペース)のための文字
沈黙のためのおしゃべり
むしろ、そこを味わってもらうための、、、
文字やコトバなのかもしれません。
またまた、アタマで読むとよくわからない文章を書いてしまいましたが、ストン…とタイミングがきたら入ってくるようなところがあるので、ご縁ある方は是非、共に味わっていただけたらとおもいます。
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お知らせ
そんなわけで、1冊目のKindle書籍「これ以外のなにかはない」が書籍化されることになりました!
書籍化のお話をいただいて、せっかくならと加筆をさせていただいたのですが、その原稿がなかなか出来上がらずで……お話をいただいてから2年越しでのようやくの発売となります( Kindle版に加筆修正した改訂版です。)
発売スケジュールやキャンペーンについての詳細など
わたしのホームページにて随時更新中です
>> ウェルカムレイン☆サヤカ HP http://sky.holy.jp/
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