日記:日常、言葉遣い、他責と自責
今朝起きたときは曇りだったので、洗濯物を洗って干そうかと思ったのだけれど、
テレビが「曇りのち雨」と教えてくれたのでやめておいた。
洗濯しなくて正解。
朝ごはんを食べて、午前中は資料作成。
お昼ごはんは、作り置きのなすとひき肉炒めにトマトとチーズを加えて、パスタに和えて頂く。
外食で食べるようなパンチはないけれど、素朴に美味しい。
パスタを茹でる時に楽をしたくて、乾麺を半分に折って茹でたせいで、フォークで巻きづらかった。
柿の種チョコをぽりぽりしながら午前中の作業の続きと、
同僚との打ち合わせもして、本日の仕事は終了。
今日も在宅勤務で、資料を作ったり、同僚と打ち合わせをしたり。
ずっと部屋の中で過ごしてしまった。
…部屋の中から出ないことは悪いことじゃないのに、『しまった』と書いてしまうのはどうしてなんだろう。
ずっと部屋の中で過ごしていると、食べたものを書くくらいしか話題がない。
話題になるようなことがないと、生産性が低い一日を過ごしたような気がして、少し残念に思うのかもしれない。
それで、『しまった』と書いてしまうのかもしれない。
最近、この『しまう』『しまった』にとらわれている気がする。
noteや、仕事のメールを書くときにも気になる。
ついつい、『しまう』『しまった』を使っている気がして、
なんだか自分が、
「自分ではそういうつもりはないんですけどね」感を醸しているような、
他責的な人間に感じる。
『しまう』『しまった』という言葉を使うことは、昨日の『セルフ・ハンディキャッピング』にも通じるような気がする。
…と、ここまで書いていたら、次は『気がする』という言葉が多いことに気が付いた。
『気がする』という言葉も他責的だ…
他責的な自分を、自責的でありたい自分がまさしく『自責』しているのか。
…ということは結局自責的??
自分が真に他責的なら、自分が他責的だと感じる言葉を使っていることを気にしないのではないか。
…と書くことで許し(?)を得ようとしているのは他責的??
問いは終わらない…
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