当時2歳の娘を連れ、主人より少し遅れてミシガンに出発します。 わたしの父が成田空港まで見送りにきてくれました。 そして、義理の両親も来てくれました。 わたしのどでかいスーツケース4個を見て、義理の両親は何やらびっくりしている様子です。 「えらい大荷物やね。何入ってんの?」 「乾物など、食べ物です!」と、自信たっぷりに答えるわたし。 「しんどそうやな。そんなに持っていかんでも、現地のものうまく食べてればええねん。あははは。」 のようなことを言われた気がします。 決して悪気
(1)の続きです オリバー「これは、もみじさんに言うべき事かどうかはわからないんだけれど・・・」 私「うん?」 オリバー「たいていのアメリカ人は、みんな親切にしてくれると思う。でも、アメリカ中西部には、日本人をよく思っていない人もたまにいるんだ。」 私「・・・そうなんだ。」 オリバー「日系企業の活躍で仕事を失ってね、生活に苦労したという人は結構いるんだよ。それを、ちょっとでいいから頭の片隅に入れておいて欲しいんだ。」 私「そ、そうなのね。わかった。」 オリバー「
主人のアメリカ駐在が決まって、いろいろと心の準備を始めていたころの話です。 前職の同じチームにいたアメリカ人に、ちょっとお会いする機会がありました。 イリノイ州出身の親切な方で、自身も家族も、自動車業界に関わる人が多くいるようでした。 (セリフを日本語で書きますが、実際のところはだいぶ下手くそな英語で質問をしています。なんとか理解しようと努めるかわいそうなオリバーさん・・・) 私「日本からアメリカに暮らすのに、何か持っていったらいいものってあるかなー?」 オリバー「そ
「もみじ」と申します。主婦歴7年目、2児のオカンであります。メーカー勤務の夫の転勤のため、家族でアメリカ中西部に暮らしていました。ときはオバマ政権の最後〜トランプ政権の4年間。米国史上さまざまな出来事(トラブル)が駆け巡ったときに駐在していたのでは、と思います。それから、任期を終えてコロナ禍に帰国しました。無事に日本に戻ってホッとした?うーん、内心は結構寂しかったです。住んでいた町が大好きになりすぎて。当時の気持ちを未練がましくも書き綴り、日本での再スタートも頑張りたいと思い