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私と漆【3】

前回のあらすじ
当時から人の話を聞かない学生のおじさん。課題で大きくやらかし、漆芸というものに苦手意識を持ってしまうが…


ある日の教室。
見知らぬ人が漆を塗っていた。

長い髪を後ろで一つに束ね、パーカーの上からラフに白衣を羽織るその姿は、しかし不思議と品があり自然と教室に馴染んでいた。
※作業の際は白衣を着用しているので、白衣そのものに不自然さは無い

その所作や技術の高度さから、恐らく院生なのだろうとは思い至ったものの、学内で全く見覚えが無いにも関わらず先生とは昔からの顔馴染みのように談笑しており、頭に沢山の疑問を抱えた顔を察してか、先生が私にその人を紹介する。

それが私と「先輩」の出会いであり、顧みれば、私と漆の本当の出会いであった。

院生は学部生の制作について面倒をみてくれるのだが、学部生の技術と学習意欲の低さは凄まじく、恐らく多大なストレスがあった事は想像に難くない。自分自身、シリコンにプラモデルを沈めるような男である。諸先輩は成人に教えるというより、小学生に教えるような感覚だったのではなかろうか。

そんな環境でも、先輩は楽しそうに漆の話をした。篦を作りながら、筆の手入れをしながら、漆を漉しながら、漆を練りながら、いつも穏やかに、楽しそうに漆の話をした。

いつも楽しそうに話す人を嫌いになるはずがないし、その人が楽しそうに話すことを嫌いになるはずがない。気づけば漆というものに対して、面白いという感情を抱くようになっていた。一方で知れば知るほど、自分に扱いきれるものではないという理解も出来てしまった。漆の世界は、気が短いおじさんには気が長過ぎるのだ。

まず、漆を乾かすには、じめっとした生暖かい環境に数日間置く必要がある。乾かすのに湿らすとはこれいかにという感じだが、漆の成分中にはウルシオールとラッカーゼ酵素というものがあり、乾燥するにあたってはラッカーゼ酵素が空気中の水分から酸素を取り込んで、ウルシオールと混ざって固まる…んだったかな?たぶん。

なんにせよそんな訳で、硬化するまでにちょっとした設備が必要だし、時間が掛かる。そして、ちゃんと硬化させるには、漆の塗膜はなるべく薄くする必要がある。筆で厚塗りでもしようものなら、表面だけ固まって縮みと呼ばれるシワが寄って使い物にならなくなってしまう。

さらに、ちゃんと硬化したところで、それで終わりではない。漆が固まったら、その塗膜を炭で研ぐ。塗膜を平面に均し、かつ次の塗膜の食い付きをよくするためだ。ただし研ぎ過ぎれば、塗膜は破れてしまう。慎重かつ大胆に、塗っては研ぎ、塗っては研ぐ。当然、塗る回数分だけ乾燥の工程を挟む。

なお、ここで注釈をする必要がある。地域によって技法や程度が異なるので省いたが、そもそも漆を塗る前に木地(何も手を入れていない木肌。白木。)に漆をたっぷり吸わせたり、技法によっては漆を含ませた布を巻いたり、その他様々な工程を経て、下地ができた上でようやく上記の塗りが始まっている。

そうして長い時間をかけて、深い深い黒、漆黒が姿を現す。さらに言えば、蒔絵や螺鈿に代表される加飾は、ここにきてようやく作業に入ることになる。今までの工程それすらも下地な訳だ。

作品の形態にもよるが、最後に研の粉と呼ばれる粉と油を練ったものを指に付け、磨き上げていく。もちろん、やり過ぎたら全てが台無しになる。途方もない手間と時間をかけて、一つの作品が出来上がっていく。

しかし、そうして磨き上げられた漆は、人間が手を入れた時間などまばたきの間かのように存在し続ける。漆に携わる人の話は、時間の単位が千年単位だ(先輩の受け売り)

さて、プラモデルの塗装ですら乾燥時間が待てなくて指紋の跡を残す人間に、居場所があるだろうかという話である。魅力は理解したが、自分は鑑賞者であるべき。それが、当時の自分が出した結論だった。

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