前回のあらすじ 卒業制作がグラスに漆塗って焼き付けてなんやかんやする感じに決まった。焼き付けて下地は出来た。さぁ漆を塗ろう。 その日、若き日のおじさんは苦戦していた。 それはもう苦戦していた。 これまで記述した数々のやらかしで察せられることではあるが、とても不器用なおじさんは、グラス内の側面だけに刷毛で漆を塗ることが出来なかったのである。 側面と底面の境界はそれはもうガタガタで、底面が透明であることからその歪さが強調される。こんなものを卒業制作として提出しようものなら十
前回のあらすじ 紆余曲折を経て漆に興味を持ったものの、漆を扱うには自分の気が短過ぎることに自覚がある学生時代のおじさんは… 話は少し遡り、春。いや、遡らず初夏くらいだったかもしれない。いや、流石にもう少し前か…? 我がゼミの大学4年生ともなると、前述のとおり卒業論文と卒業制作が同時にやってくる。鑑賞者を決め込んだところで現実として制作はせねばならない。卒業が掛かっている。世間では内定切りとかNNTとか、とかく物騒な言葉が吹き荒れる頃である。死活問題だ。 とはいえ、漆に向
前回のあらすじ 当時から人の話を聞かない学生のおじさん。課題で大きくやらかし、漆芸というものに苦手意識を持ってしまうが… ある日の教室。 見知らぬ人が漆を塗っていた。 長い髪を後ろで一つに束ね、パーカーの上からラフに白衣を羽織るその姿は、しかし不思議と品があり自然と教室に馴染んでいた。 ※作業の際は白衣を着用しているので、白衣そのものに不自然さは無い その所作や技術の高度さから、恐らく院生なのだろうとは思い至ったものの、学内で全く見覚えが無いにも関わらず先生とは昔からの
前回のあらすじ 怠惰な大学生だったおじさんは出来るだけ楽に卒業したいと考えていた。ゼミ選択を迫られたおじさんは、とあるゼミ説明文に「卒業制作」の文字を発見して… 例によって内容をよく理解しないままゼミの選択を行った訳だが、説明文に在った「卒業制作」の文字は、卒業制作もあるよという意味であり、卒業のためには普通に卒業論文も必要だったので、結果的に卒論を書きつつ卒制に追われる日々を送る事になるのだった。それはそれとしてこのゼミは漆芸専攻であるため、私は否応なく漆という存在と向き
私と漆の出会いは…とあまり前向きに書けないのは、その出会いがあまりに怠惰と打算の結果だからである。 話は高校時代、大学受験まで遡る。 怠惰な高校生だった私は、指定校推薦で進学を目論んでいた。 自ら勉強したいと思う教科なぞ現代文と世界史だけ。大学に入ってしたい勉強は「文明の発展と戦争によるリセットを繰り返す人類がその発生から現代におけるまで全く進歩していない事を再確認し、これからも進歩しない事を確信に変える」だったので、歴史系の学科があり、頭の良い同級生と推薦枠でかち合わな
時に、西暦2024年。 おじさんが1人、迷子になっていた。 小田急百貨店の取り壊し工事の余波で、またも大きく地形を変えた新宿駅。なんとか地上に這い出たおじさんの目に飛び込んで来たのは、見慣れた場所の見慣れぬ景色であった。 そんな訳で、「旨いジンギスカンがある」という誘いにホイホイ釣られ、新宿までやってきた。まずは例によって自分と同じくホイホイ釣られたハシモトさんと合流し、続いてTwitterが生んだ奇跡によってホイホイ釣られる羽目になったエヌ氏、最後に真打しんいちさんが合
「オトーチャン、イッショニネヨー!」 朝の4時である。 布団に下の子を招き入れ、大の字に転がって知らない天井を眺める。前日からの疲れは思ったほど残らず、窓からは仄かに朝の気配を感じる。 二度寝を試みるが、こうなってしまうとなかなか寝付けない。5時にはカメラをぶら下げて、朝の散歩と洒落込んでいた。 春から初夏に向かう山は、昼夜問わず賑やかというより騒がしいという言葉を使いたくなるが、流石に早朝は心なしか穏やかだ。 散歩から戻り、朝ご飯までのんびり……とはいかないのが子連
GW後半戦初日。 例によって、早朝、あるいは深夜と言うべき時間に出立した我々一家は、時計の針が7時半を指す頃には自宅から200km離れた川に石を投げ込んでいた。 茨城県は常陸大宮市。 学生時代の先輩が居を構えるこの地に、子連れでやってきたのには訳がある。 「あそびにいきたい!!!!!!」 という強い想いである。 だがしかし、懸念があった。 先方にも歳の近い子供たちがいて、子供たちは子供たち同士大いに遊んでもらうことも目的のひとつではあったが、子供同士にも相性というものがあ
ここのところ毎日、子供達の手の甲にニベアを塗り込んでいる。子供達はその匂いと、深い青色の缶が大好きらしい。 そういえば長男は乳飲み子の頃、ニベアの缶を抱いて寝ていたし、ずり這いを始めたのもニベアの缶欲しさだった。 次男は次男で、使い終わった後にその青い缶に封をする仕事を自分が占有しているものだと考えていて、父が塗る前であっても早々に蓋を持ち駆け出してくる。 結局自分の手に塗ることが出来ないまま終わる日もある。ただ、子供達にそれを塗り込んだ残滓が、じんわりと指先に湿度を与
若い頃、みんなが同じ土日休みなら簡単に予定を合わせて遊べると思っていた。 おじさんになって解ったのは、それぞれにそれぞれの生活があるだけじゃなくて、その生活は絶えず変化を続けているということ。 子供が産まれて解ったのは、予定なんて立てられないってこと。 つまり、これは奇跡的な出来事ってことだ。 3月の川越以来に3人が揃った。 空も泣き出しそうなところを堪えている。 各家庭の体調管理、そして日頃の行いの賜物だ。 タープを張って、買い出しに行って、火を起こす。 否が応でも
数年ぶりに歩く代官山は、少し景色が変わっただろうか。そもそもお前とは縁が無い土地だとでも言いたげな拒絶感を、何故かこの町からは感じる。 だからこちらも土足で踏み込むのだ。なんなら結婚式だって、この町で挙げてやった。ざまあみろだ。 顔を歪めるように曇ってみたり、怒りに震えて赤くなるように晴れてみたり。 そんな町の隅を蹴飛ばして、渋谷へ向かって歩く。 それじゃあ、またな。 飛行機が飛んでいる。
「林檎で有名な人の展示に行って酒飲もうぜ」 ロクに回らない頭でなんとか理解できた内容は、だいたいそんな感じだった。 確かなのは、子供達から引き継いだ高熱にうなされているところへ届いた一件のLINEに、心の安寧を求めて飛びついたってこと。 ※後で見返したらだいぶニュアンスは違った そんな訳で、敬愛する上田義彦氏の写真展『いつでも夢を』と昼間からビールの為に上京。 誘ってくれたしんいちさんには頭が上がらない。 しんいちさんについてはこちら↓ 写真展の内容についてはここで
晴天ということもあって、時の鐘を中心とした観光街は人で溢れていた。 食べ歩きをする、気になった店を覗く。何気ない、しかしいつの間にか縁遠くなった行為である。自分のことだけ考えて歩けばいい。そのなんと贅沢なことか。 一方で、観光地を前に「ここに家族と来たらどうなるか」という視点から話が広がる。普段のらりくらりと適当に父親業を営んでいるけれど、それでもこんな思考もできるようになったんだなと、ちょっと自分に感心した。(ちなみに、小さい子連れで楽しむのは不可能という結論で一致した
「インターネットで知り合った人と、実際に会ってはいけません」 かつてそのようにネチケット教育を受けた者にとって、オフ会とは極めて心理的ハードルの高い行為である。そのハードルの高さといったら、ビックリマンチョコのウエハースを食べずに捨てるくらいの高さである。ビックリマンチョコ買った事ないけど。 まぁそんなこんなで色々葛藤が有ったような無かったような気がしなくもないのだけれど、おじさんのそれを詳細に描いたところで誰も得をしないのでそこは省いて、つまりはTwitterでお世話に
好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。 SNSをやる上で一番大事にしていること。 そうも言っていられない現実と違って、SNSでは好きなものだけで周囲を埋めていく事ができる。嫌なものは見えなくしてしまえばいい。それは、時に人間関係でさえも。 誰かに気を使って、うれしくないお世辞にありがとうだとか、わざわざ嘘を吐かなくてはいけないような状況に身を置かない。自分に嘘を吐く事は、他人を傷つけることより、ずっとストレスになるから。 こんなことをわざわざ書くくらいだから、それは逆
写真にしろ文章にしろ、何か出力していないと駄目らしい。 といって最近は、撮影結果の満足度が目に見えて減っていて、軽く撮りに行く程度では不完全燃焼感が強い。何となくわかっていた事ではあるが、どうも頭で考えて撮る、ということにあまり向いていないらしい。 かといって今更考えず撮るという感覚にも戻れずにいる。半ば自動的に、欲しい写真に必要な要素を選択するようになってしまった。 結果、一般的な観点からみてほとんど及第点の写真は撮れる(撮れていると思う)が、写真の方向性は悪い意味で