なぜ、独り言を公開するのだろう?
昨日から、独り言をnoteに書いてみるという実験をしています(以下、「独り言記事」としましょう)。
やってみると面白いもので、誰かに向けて書いているときと文章の展開が変わってくるのがわかります。
読み手を意識しない分、「より自由に書いている」と言いますか、「好き放題に書いている」と言いますか。
詳しくは以下の独り言記事に書いたとおりです。
今の記事の書き方は、誰かが読むかもしれないという姿勢。
「目の前に誰かがいる」というつもりで文章を書いています。
(もちろん、「独り言記事」も記事として公開すれば、誰かが読む可能性はあるわけですが……)
SNSでは独り言を公開している
考えてみれば、SNSというのは独り言を公開する場でもあります。
Twitterはその典型。
誰かに対して発信するという使い方もありますが、独り言のtweetもあります。
LINEのように特定の人に向けて書いているというよりは、不特定の誰か、あるいは、その「誰か」さえもいない場所に対して、言葉を発しているような感じです。
これってなかなか面白いもので、オフラインの日常空間ではあまり目にしない光景です。
街中で、誰に対して発するともなく話すということは少ないはずです。
独り言だけど独り言ではない?
独り言をSNSで発信する心理は様々だと思いますが、発信された独り言は独り言ではないのかもしれません。
tweetは、独り言のようで独り言ではないということでしょうか。
誰かに対して発信するわけではないけれど、誰かに読んでほしい……
そんな思いが込められているのかもしれません。
個人的な感覚としては、誰かに向けてメッセージを送るLINEなどのツールよりも気楽に使えるんですよね。
「読んだ人は返事をしても良いし、しなくても良い」という仕様のため、「返事がないかもしれない」「こんなことを送ってよいものか」と考え込まないで良いという気楽さを生んでいるように感じます。
反応がなければ、tweetは独り言のままに
反応があれば、tweetは会話へと変化していく……
tweetとは面白い性質をもった文章です。
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