#47 時間とは相対的概念である
2週続けて小難しいタイトルになってしまい、まったくもって面目ない。
しかしまあ許して欲しい。
僕にはこの記事を用意する時間がろくすっぽなかったのだから。
このアカウントでは毎週持ち回りで3人が記事を投稿している。
しからば僕には前記事投稿後から都合3週間の準備期間が用意されていたということになるだろう。
しかし、そうはならなかった。
かのアインシュタインは提唱した。
時間は相対的であると。
全ての物体に流れる時間は絶対的に共通の量ではないのである。
僕がこの記事を書くにあたって、主観的に用意された準備時間は1時間やそこらであった。
かのアインシュタインは提唱した。
物質が光速に近づけば近づくほど時間の進みは遅くなると。
つまり、この3週間に1時間くらいの体感時間しかなかった僕は、限りなく光速から遠い、遅すぎる運動体だったのである。
思い返せば確かに僕は遅すぎる運動体であった。
体育テストの1500m走では7分半くらい平気でかかっていたし、センター試験の数学は大抵時間が足りなかった。
好きな子への告白を思い立って校舎裏へ呼び出したはいいけれど、恥ずかしくてもじもじしてしまい、そのまま昼休みが終わってしまった、なんてこともあった。
世は先手必勝。動いたもの勝ちの世の中である。
行動を早めることが、体感時間を拡張し、時間を有効活用する第一歩となるのかもしれない。
そう思いながら、月曜深夜27時、つまり、この記事があがる5時間ほど前に僕は慌てて筆を執っているのであった。