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#44 雨と図書室

僕がまだ小学生だった頃、男子たちの休み時間といえばドッジボールだった。

20分休みを告げるチャイムが鳴ると、男子たちは一目散に運動場へ飛び出して、足の先でドッジボールコートを書いて、とりとりじゃんけんでチーム分けをした。

9割の男子はそうやって休み時間を過ごしていたし、僕もその例外ではなかった。

しかし、
雨の日はそういうわけにもいかない。

元気の有り余る男子諸君は校舎内で鬼ごっこやらかくれんぼやらをしていたけれど、僕はなんだかそれに混ざる気にはなれず、ただダラダラと過ごしていた。


ある雨の日の休み時間。僕は、気まぐれに図書室を訪れた。

静かな図書室は少しカビ臭くて、やんちゃな僕にとってはむず痒いくらい文化的だった。

僕が星新一を手に取って椅子へ腰かけると、その机には先客がいた。
そこにいたのは当時僕がひそかに思いを寄せていたAちゃんだった。
彼女は僕に気付くそぶりもなく、上橋菜穂子を読んでいた。

黙って本を読む彼女をちらりと見てから、僕も本を読むことにした。


僕らは一言もしゃべらなかった。窓を打つ雨音だけがそこにあって、それは無音よりもむしろ図書室の静謐を強調していた。


次の雨の日も僕は図書室へ行った。
彼女はやっぱり一人で本を読んでいた。

僕も彼女の斜向かいに座って本を読んだ。この日手に取ったのは眉村卓だった。

それから、雨の日は図書室に行くのが僕のルーティンとなった。
いつ行っても彼女はいたし、多分晴れの日もいたのだと思う。

西の魔女が死んだを読んで、博士の愛した数式を読んで、蹴りたい背中を読んだ。
やっぱり僕らは一言も話さなかった。


そんな中、ある雨の日だった。

その日、授業では各生徒が書いた生徒新聞が後ろの壁に公開されていた。
チャイムがなり、そんな壁を見るとはなしに見ながら僕は図書室へ向かう。

図書館へは僕が一番乗りだった。適当に見繕った伊坂幸太郎を手にいつもの席へ座る。

まだ僕が本に集中し切る前に彼女はやってきた。彼女はしばしの逡巡の後、宮部みゆきを手に取ると僕の斜向かいにやってきた。

椅子を引いた彼女は、座る前に思い出したように言った。

「ねえ、君の記事、面白かったよ」

いきなりの出来事にびっくりして僕は本から咄嗟に目を上げた。優しく微笑む彼女と目が合った。

彼女からの賛辞は当時の僕にはこれ以上ないくらいの報酬だった。
文章をよく読む彼女の評価は信頼できるものだったし、そもそも僕は彼女のことが好きなのだ。嬉しくないわけはない。

ただやはり小学生特有の気恥ずかしさはあり、ああとかうんとか、そんな気の利かない返事をしてしまった覚えがある。

────結局僕は彼女に告白をしないまま卒業したし、彼女が僕のことをどう思っていたのかもわからない。
けれど、あの時の彼女のセリフは、あの日みたいな雨が降るたびに思い出す。

それが忘れられないからこそ、僕は今もこんなところで記事を書いているのかもしれない。僕の心は、まだあの日の図書室にある。

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