「週刊GRAPH」ができるまで。
こんにちは。少しずつ暖かい日も増えてきて、春が近づいてきている感じがしますね。
さて今回は初めにお詫びをいたします。
前回の記事に関連して、「UTokyo Go」についての記事をまとめる予定でしたが、諸事情により延期させていただきます。
タイミングを見て、また後日アップする予定で準備を進めています!
楽しみにしていてくださった方がいたら、申し訳ありません。今しばらくお待ちください。
さて昨年12月に始めました「週刊GRAPH」ですが、現在進行しているプロジェクトの中には公にできるタイミングにないものも多々あり、“週刊”とタイトルをつけてしまった自分が悪いのですが、更新が滞りそうになる場合があります。
そう。今です。
そんなときどうするか。
困ったときに使おうと思っていた禁じ手を、さっそく使います。
それはずばり「自分で自分にインタビュー」すること。・・・始まって2ヶ月で使うことになるとは!
このシリーズはこれからもたびたび登場すると思うのですが、あ、記事アップのタイミングに困ってるな? って、生温か〜く受け止めていただけたら幸いです。
デザインって何だ!? デザイン雑誌の編集者として衝撃を受けた出会い
自己紹介記事でも書いているのですが、「週刊GRAPH」執筆担当の八木は、もともと新卒で出版社に入社し、編集者として働いていました。GRAPHと最初に接点があったのは2006年、新卒2年目のときです。
エイ出版社という会社で、『リアル・デザイン』というデザイン雑誌の編集部に在籍していました。
(現在は残念ながら休刊となっています)
2006年、『リアル・デザイン』誌は単発のムック本として誕生し、創刊3号目で月刊誌となりました。モノを”選ぶ理由”を軸に、いいモノとは何なのか、なぜいいのか、デザインを切り口として紹介していました。
この雑誌でパッケージデザイン特集をやることになり、すてきなパッケージを集めて、手掛けたデザイナーに話を聞きに行こう! という企画で北川一成さんにインタビューさせていただいたのでした。
このとき、なんの話を聞いたのか。
たぶん「富久錦」のお酒のデザインの話だったのだと思いますが……
ほとんど覚えていません。汗
新卒2年目のペーペー編集者だった私は、とにかくド緊張していたのです。
ただ、取材後に、絶対一成さんに言おう! と思ってたことを口にしました。
「私、筑波大なんです。後輩です。」
・・・まさかの仕事無関係発言!
しかし、目の前の、関西弁をしゃべる、「GRAPH」のロゴ入り黄色いTシャツを着た一成さんは、
「ほんまか! どこ出身なん? えっ、2000年入学!? ほうか、つい最近やな……もうそんな子らが働いてんのか……頑張ってんねや〜」
と答えてくれ、なんだか楽しく取材を終えたのでした。
それが最初の思い出。
次にお会いしたのは、2007年。
『リアル・デザイン』誌にて、クリエイターインタビューというロングインタビューの連載記事での取材でした。
「ものをつくってるひとの話って面白いよね、ときに変態的で!(←褒めてます)」というシンプルな気持ちが原動力となり、いつも同じライターさんとカメラマンさんと一緒に楽しく取材にまわっていました。
グラフィック、プロダクトのデザイナーさんや建築家の方などに、「どんな子どもだったんですか?」という話や、幼少期、学生のころの話など、生い立ちから伺っていくのですが、そのときに一成さんに聞いたお話がものすごく面白かったんです。
◆子どものころ、虹を取りに行くんだ!と言って駆け出した一成少年に、お母さんがそっとビニール袋をもたせてくれた話。
◆紙で立方体をつくり、よし上手にできた!と思ってお父さんに見せに行ったら、「あのなあ、紙目が逆や。あと紙の厚みを考えてへんから、ずれてるやろ」と怒られた話。
◆大学受験のとき、試験前夜に見た夢にイサム・ノグチが出てきて、彼の書いていた図がほとんどそのまんま実技試験で出されて、「ラッキー!」と思って、見事合格した話。
◆「富久錦」のマークは、新幹線の中で、「次は〜、岐阜羽島〜、岐阜羽島〜」とアナウンスが流れた瞬間に頭の中に浮かんだ形だったという話。
◆当時、「落狂楽笑」開催の直前だったこともあって、会場デザインの話を伺ったのですが、蛍光オレンジ色の馬の形の客席は、「イッセー尾形さんの一人芝居を見ているお客さんがなぜか全員馬にまたがっていて、それを見たイッセーさんがこらえきれずに笑ってしまう」という自分の夢からアイデアをもらったのだという話。
リアルに体験した記憶や、自分の身体感覚を使ってとらえたこと、素直に感じたこと・考えたこと、直感が、デザインになっているんだ……と、衝撃を受けました。
私は“デザイン家電”や“デザインステーショナリー”など、デザインという言葉が“おしゃれな”とか、“センスのいい”、“他とは一味違った”、といった意味で使われていた頃に、そうした世界に憧れて出版社に入った人間でして、当時はまだその感覚をひきずっていました。
「一部の限られた、天から選ばれし才能をもつ人たちが、そのハイセンスさを競いながら生み出すもの」のような、高尚なイメージがあったんです。
一成さんとの出会いは、デザインの捉え方を根底からひっくり返してくれる、ひとつの大きなできごとでした。
さらに、GRAPHでつくられるものが、形も色もテクスチャーも、醸し出す空気感も、ものすごく洗練されていながら、“ちょっと不思議”な印象を受けるものだったことも惹かれるポイントでした。
いわゆる「わかりやすい」デザインではなかったことが、余計に気になって、あれはどうなの?これはどうなの?と、どんどん興味がわいてきて………。
インタビューは予定時間を大幅に超過し、また大いに脱線しましたが、「またこの方の話を聞きたい」と強く思ったのでした。
GRAPHを、もっと知りたくて
その出会いの後、『リアル・デザイン』や、2009年に創刊した『ディスカバー・ジャパン』などの雑誌を通して、コンスタントに一成さんとお話する機会がありました。
仕事の後に一緒にお酒を飲みに行ったり、展覧会に密着したり、先輩ライターの西山薫さん(現在『日経クロストレンド』や『日経デザイン』、『ブレーン』などでもご活躍されています)と一緒に宣伝会議のデザイン塾を聴講したり、カラオケしたり。
まるで『少年ジャンプ』のような「六本木アートナイト」のアートディレクションや、「きいちゃん」が壁一面に投影されるインスタレーション、そして「ハウステンボスさんに、『変なホテル』って名前をプレゼンしようと思ってる」と言われたときなど、たびたび度肝を抜かされつつも、
デザインとは何か? そして、人間とは何か? に常に向き合うことになり、気がつけば10年の間、いつも刺激をもらってきました。
2019年10月には、ディスカバー・ジャパン誌の別冊として『北川一成の仕事術』が発売され、西山薫さんとともに、私もいくつかの記事を編集・執筆しています。
が。
ふと、気付いたことがありました。
「そういえば私、一成さんのことしか知らないな」と。
『北川一成の仕事術』の編集を通してさまざまなプロジェクトのお話を聞いたり、雑誌の発売直後に開催された展覧会(クリエーションギャラリーG8で開催された『GRAPH』展)の準備の話を聞いたりしていて、いろんなスタッフさんがプロジェクトをまとめたり、アイデアを出したりしていることを改めて知りました。
過去に本社工場を3度ほど訪れる機会があったときも、掃除の行き届いたクリーンな印刷現場や、スゴ腕の職人さん、キャラの濃いスタッフさんのことを面白いなと思いながら、深くお話を聞いたことはありませんでした
東京オフィスに関しては、全員がデザインする人、いわば“一成さんのお弟子さん”みたいな方々なのだと思っていましたし。
そこで、GRAPHの中でいろんな仕事をしているいろんな方たちに話を伺って、GRAPHが提供する価値とはなんなのか探り、発信するために、外部のフリーランスライターから、「もう一歩中に踏み込んだ立場で関わらせてもらえませんか」と、自分から提案しました。
半分中の人で、半分外の人として、しだいに図々しさを増しつつ、取材を重ねていきたいと思っています。
そんな10年間の経緯があっての、「週刊GRAPH」なのでした。
そういえば私の名刺や、結婚式の招待状はGRAPHさんにデザインしていただいたものでした。うん、それもネタになるな……。
また自分インタビューシリーズでご紹介したいと思います。