「成瀬は天下を取りにいく」は天下を取っているか

「成瀬は天下を取りにいく」を読んだ。ほとんど小説を読まない自分のところにまで情報が届いてきたということは、売れているということだろう。なんならひとしきり話題になり尽くしたあとかもしれない。

西武らしきユニフォームをきた女子学生のイラストと、「西武に青春をささげる」的な書き出しで始まるという程度の予備知識で読み始めた。読み始めてびっくり、西武とは、西武のことではなくて西武だった。つまりライオンズではなく百貨店だった。所沢の話かと思ったら大津の話であった。

文体は、なんというか「おもしろnote」のように軽妙で切れ味がある。エッジの利いた短文で小気味よくリズムをつくっていく。ディティールの細かさ、切り取りのセンス、ワーディングの鮮やかさなど、明らかにうまいのだが、軽い。これはおもしろいのか。何が「引き」になって物語を追うのか。一話完結のギャグ小説として楽しむものなのか。

漫才のパートが始まった。 漫才をフィクションで描くのは難しい。本作では、最初はつまらなかった台本が少しおもしろいものに変わっていく流れになっている。つまり漫才として、つまらない漫才とちゃんと少しおもしろくなっている漫才を書かねばならない。この加減は絶妙であった。そしてだんだんと自分は引き込まれていった。

突然の時空飛ばしを経てどこへ着地するかが気になってしまっていた。そう、気づけばサスペンスな展開にすっかり飲み込まれてしまったのだ。

物語は、「解散」に向け進んでいく。まだ終わらないでくれ。左手で持つ残りページがどんどん薄くなっていく。軽やかで読みやすく、加速がついたらもう止まらない。まだ降りる駅までしばらくあるのにと思ったのもつかのま、一気に読了。

いくつかの書評で目にしたような気がする「成瀬のように生きられたらな」とかは、全然思わない。むしろまわりに気を遣わせる感じになるのは抵抗がある。どちらかというと島崎のように生きたい。誇れる友をピュアに自然に信じ続けることの美しさ。この本は成瀬の物語であると同時に、島崎の物語でもあった。

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