【ラグビーW杯が100倍楽しくなる】日本代表の成長物語は、漫画そのものだ - 『奇跡のチーム ラグビー日本代表、南アフリカに勝つ』を読んで①
今日紹介する本 『奇跡のチーム ラグビー日本代表、南アフリカに勝つ』生島淳 著
2019/10/20作成 2019/11/10最終更新
全体目次
1.前置き
2.本の紹介
3.強いチームを作るには
4.歴史を変えるのは、今大会の日本代表だ
1.前書き
「歴史を変えるのは誰?」
トンプソンルークが叫ぶ。
稲垣、木津、山下、トンプソン、真壁、リーチ、ブロードハースト、そしてマフィ。日本のFW8人は勝利を信じ、呼吸をシンクロさせた。
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「どうして、あいつらはスクラムを組んでいるんだ!」
コーチボックスではエディーが叫び声をあげる。その叫び声は、ピッチのそれとは対照的に怒りに震えていた。
ペナルティをもらったとき「キックで3点を狙え」と指示したはずだ。騒然としたスタジアムの雰囲気の中、選手たちは自分の指示を無視してスクラムを組もうとしている。
南アフリカを相手にしてスコアは29対32、残り時間は2分を切っている。せっかくいい位置でペナルティを得たのに、トライを狙いにいくのはギャンブルではないか?
キックで3点を狙えばいいじゃないか。今日の五郎丸の調子なら十分に決められる。 あのスプリングボクスと引き分けだぞ? ああ、それなのになんと言うことだ。W杯という大舞台で、南アフリカとの名誉ある引き分けが、勇気ある敗戦に変わろうとしている。
エディーはやり場のない怒りを通訳の佐藤秀典にぶつけた。
・・・
しかしエディーの思いも虚しく、FWの選手たちは結束を確かめるようにパックを固めている。
エディーはもう、祈るしかなかった。
息子たちよ。頑張れ、頑張るんだ!
レフェリーの「セット」の合図で両軍のFWがクラッシュすると、大歓声が湧き上がった。
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作中から一部抜粋
それから2分後、この試合がどういう結末を辿ったかは皆さんご存知かと思います。
2015年のラグビーW杯イングランド大会で、日本は過去2回優勝の強豪国:南アフリカに逆転勝利しました。
各種メディアはこの勝利を「スポーツ史に残るジャイアントキリング」と讃え、日本中がラグビーフィーバーとなりました。
なぜここまで大きく取り上げられたのか?
高校時代ラグビー部だった僕には分かります。
ラグビーは“最も実力差が結果にあらわれるスポーツ”だからです。
僕は高校1年の秋、県内最強/全国でもトップ10に入るチームと対戦して5対95で負けました。それでも健闘した方です。まさか1トライでも取れると思わなかった。
トライを取った時はまるで勝ったかのように喜びました。今ではいい思い出です。
...それぐらい実力差が出るのです。
当時、南アフリカ戦での勝利は、SNSで「桐谷美玲が吉田沙保里に勝つくらいすごい」と表現され話題になりました。
吉田沙保里にかかれば桐谷美玲なんて小指で倒せます。三浦翔平が助けに入っても無駄です。三浦翔平がごくせんメンバーを連れてきても、やっぱり無駄です。
ボコボコにされながらヤンクミが助けに来るのを待つしかありません。
しかし世間は教師の体罰に敏感ですし、エンディングを担当するAqua Timezは解散しているのです。こんな状況でヤンクミが助けに来て、空に七色の橋はかかるのでしょうか?
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結局ヤンクミは助けに来ませんでしたが、日本には強力な助っ人が来ました。
それこそがエディー・ジョーンズです。
そして彼がヘッドコーチになってから、日本は見違えるほど強くなりました。
前々回大会までのW杯で、日本があげた勝利の数を皆さんは知っているでしょうか?
…1つです。
ラグビーW杯が創設されてから約30年、日本はただの1勝しかできませんでした。
1995年の南アフリカ大会では、マオリ・オールブラックスに145点も取られ、屈辱的な敗北を喫しています。
それだけ、日本と世界の間には大きな壁がありました。
その壁をエディージャパンはたったの4年でぶち破ったのです。
日本がいかにして強くなったのか。それを知ればW杯が100倍楽しくなります。
今日はそんな本を紹介します。
2.奇跡のチーム ラグビー日本代表、南アフリカに勝つ
よくやく本題に入ろう。
今日紹介するのは“生島淳(2019)「奇跡のチーム ラグビー日本代表、南アフリカに勝つ」文藝春秋”です。
2015年ラグビーW杯。
エディー・ジョーンズ率いる日本代表は、強豪国南アフリカを相手に劇的な逆転勝ちを収め、世界を震撼させた。エディー・ジャパンはなぜ日本のラグビーの歴史を変えることができたのか? 選手・関係者40人近くへの徹底取材を通して、その理由を解き明かした傑作ノンフィクション。 解説・畠山健介。
膨大な取材を通して、エディー・ジャパン4年間の軌跡を伝えてくれる。ドキュメンタリーです。
巻末には、今や有吉弘行に「クソヒゲゴリラ」と呼ばれ、ただの“ラグビー好きなおじさん”扱いされている畠山の解説もあります。
彼もエディー・ジャパンの主力で、「空飛ぶヨコヅナ(プロップ)」の愛称で親しまれた選手でした。この本を読んで思い出しました。
この本で描かれているエディーはめちゃくちゃスパルタです。
もうとんでもなくスパルタ。選手はもちろんスタッフ陣にも怒鳴り散らすし、時には言葉で揺さぶりを掛けてプレッシャーを与えます。
それをマインド・ゲームなんて呼んでる。ドSの所業です。
僕は南アフリカ戦での勝利を「漫画みたいだなぁ。slam dunkで湘北が山王工業に勝ったみたいだ」と感じるのですが、エディーは安西先生でも白髪鬼の方です。
こっちです。
僕が斎藤ならアメリカへ逃げ出してしまうでしょう。
そしてこう言われてしまうでしょう。
しかし彼らは逃げ出せません。
宮崎で延々と合宿しているからです。ほぼ監禁です。
この合宿、選手たちが口を揃えて「地獄だった」「あんなに辛い日々はない」と語っています。
1つ例を挙げます。とある日、練習でフィジカルを限界まで追い込んだ後に40分の紅白戦が組まれました。紅白戦ではトライしてもすぐスクラムやラインアウトを指示され、休みなくプレーが継続します。
「…ん?それめちゃくちゃ辛くない?」
そうです。めちゃくちゃ辛いのです。ラグビーは消耗の激しいコンタクトスポーツ。トッププロの選手ですら、通常の試合でも後半は亡者の様な顔をしています。トライの後やプレーの切れ目など、息をつける時間がオアシスなのにそれがない。あまりの辛さに吐く選手が続出しました。
身体的にも信じられないほどの負荷を与えていたのですね。ドSの所業です。
しかし「敗北の歴史」しかなかった日本を変えるのは、並大抵の練習では決して成し得ませんでした。
クソヒゲゴリラも後にこう語っています。
南アフリカ戦の試合終了直前、エディーの指示に反して、トライを選択して逆転勝利を成し遂げたシーン。
エディーにすれば、リーグ戦初戦だから、リスクの高いトライに賭けるよりも、高確率で同点にできるキックで引き分けを狙えと指示したのだろう。
しかし僕らは、12年の12月に対戦相手が決まって以来、「ビート・ザ・ボクス 南アフリカを倒せ」ということだけを教え込まれてきた。あの場面は勝ちを狙いに行くのは当然だった。
「日本人には自主性がない」、とよく言われるが、選手が示したように、日本人には自主性は、ある。南アフリカ戦のあのシーンは、まさに「最高の自主性」が発揮された瞬間だった。
「最高の自主性」は、自然と生まれたものではない。そこに至るには、ある程度、「強制」する必要がある。背中を押してあげて、ここからは自分で考えろ、という場所までは、指揮官が導いてあげる必要がある。
僕らには、宮崎の「狂気」の合宿が必要だった。
エディーがヘッドコーチに就いてから日本は見違えるほど強くなりました。
13年にウェールズを撃破。14年初夏にはイタリアを破り、秋になってマオリ・オールブラックスを追い詰めました。
日本にも徐々に「勝つ文化」が生まれ始めたのです。
そして、南アフリカ戦の入場時、君が代を聴いた五郎丸歩が、畠山健介が、田村優が泣いていました。
「4年の歳月は、この時のためにあった」「もうやり残した事は何1つない」と。
…試合前に泣いたのです。試合前に。
たぶん織田信成だって演技前に泣きはしません。
これほどまでに人事を尽くしたことがあるでしょうか。
ここまでやったからこそ、強敵相手にも勝ち切ることができたのです。
そして如何にしてチームをまとめ、強くしたのか。
その精神面でのアプローチこそ、この本で最も強く描かれた部分です。僕自身も影響を受けました。
ビジネスにおいても役に立つテーマが、そこにはあります。
…が、長くなったので後半に続きます!
後半はコチラ→『真に歴史を変えるのは、今の日本代表だ』
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今日紹介した本
奇跡のチーム ラグビー日本代表、南アフリカに勝つ
生島淳 著
2019年 文春文庫より
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