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手取り10万円⇒無職ヒモ生活⇒年収900万円になるまでの話(前編)

皆様、お久しぶりでございます。
見積り屋WEED改め、わがままアジャです
(名前変えました)

前回、前々回とまじめな記事を書いてしまいましたので今回はゆるく、自分の半生を振り返ってみたいと思います。


・専門学校卒業編

幼き頃より乗り物が大好きだった私は、
まごう事無く、自動車整備の専門学校に進学し
2級自動車整備士の資格を得て、卒業。

本当は、その学校があった都市での
就職を考えていたのですが
当時の担任より
「お前の地元のディーラーからオファーが来ている
 そこに行かないのなら、学校として国家資格の
 試験は受験させない」

と言われたので、

親から進学費を出してもらって資格とれませんでした、てな事にはなる訳にはいかないので、
とりあえず言う事を聞いて
地元のディーラーに就職。

※学校として各ディーラーとのコネを繋いだり、
 就職内定率などの問題があったのでしょうが、
 今考えたらかなりのハラスメントよね・・・

・初めての就職編

そして私は人口3~4万人のド田舎にある
某自動車ディーラーの整備士として
入社しました・・・が、

結論から言うと2か月で退社(笑)
内、最初の1か月は本社での研修だったので
実際に現場に出たのは約1か月

というか、車のカスタムやチューニング
そして謎に車のリヤタイヤを横に滑らせたり
する行為が大好きだった私には、もともと
ディーラーで勤務するなんて行為自体
無理だとは思ってはいましたが、

これは愛車3号機、ディーラーに通勤で使っていたのは
ストレートマフラーの車高短180sx


退職のキッカケとして、ちょっとだけ
エピソードがありまして

当時うちの実家の近所で、何者かにタイヤが
パンクさせられるという怪事件が
多発していたのですが
なんと、朝会社に行こうとした私のマシンも
4輪ともペシャンコになっているじゃ
あ~りませんか(これわかる人は同年代)

どう考えても自然現象ではなく、
事件だと思った私は警察に連絡
そうすると警察の方から
「では、これから向かいますので
 ご自宅にいてください」
と言われたので、私は会社に電話し
「かくかくしかじかなので、
 少しだけ出社が遅れます」
と伝えたところ
「そんな事は会社としては関係ないから、
 タクシーでも何でも使えば出社できるだろう」
とのお言葉。

・・・まあ、従いませんよね(笑)

そうして警察への被害届を無事に終えてから
出社しましたところ、工場長より呼び出され

工場長>
「お前はもう、学生じゃないんだぞ、
 今は社会の、会社の一員、歯車となって・・・」
と、またまたありがたいお言葉を頂いたのですが
私>
「ここに就職したのは、ここに就職しないと整備士の国家試験を受験させないと言われたからで、ここの歯車になるつもりは1mmもありません」
と言い、
ポカーンとする工場長にお別れの挨拶をすませたら
翌日には退職届けを提出し
始めての就職終了。

この時、21歳

※若気の至りって事で。

・オラ都会に出っぞ編

人口3~4万人の故郷を捨て
いざ、人口200万人の都市へ。

実は、会社に辞表を提出したその足で
そのまま、約300km離れた
その都市へ向かってました。

なぜなら、その都市は私が通っていた
専門学校があった都市であり、
卒業間近で行われた合コンで知り合った彼女
(現在の妻)が学生として住んでいたから。

※若気の至りって事で。 パート2

そこで、求人情報紙を読み漁っていたところ
(当時はまだスマホも無く、インターネットも
 そこまでメジャーじゃなかったので、
 求人といえば、求人雑誌かハローワーク
 しか無かった時代)

『板金・塗装、素人でも可』の文字

昔から、ゲームボーイを分解して色を塗ってみたり
プラモやラジコンの塗装から始まり原チャリ塗装
そして、愛車初号機のS13シルビア(写真が無い)
は缶スプレー30本を使用しオレンジに全塗した
くらい塗装という行為が好きだった為

※若気の至りって事で。 パート3

「ええやん、なんか素敵やん」

となり、すぐさま面接に向かったところ
そこで思わぬ衝撃を受けます。

そこには、まるで今すぐにでもGT選手権
(今で言うスーパーGT)に出場出来るんじゃないかという風貌のS14シルビアがあったり、
カリカリにチューニングされた
R32GT-Rがあったりと、
「なんじゃこりゃあ」

となったのと同時に、絶対ここで働きたい!!
となり、お世話になる事となりました。

(ちなみにそのS14は、後で聞いたら本当に当時の
 GT300クラスを走っていたマシンを、
 あるルートで入手したものだったらしい。
 そしてそのエンジン型式の打刻も無い
 完全レース専用のドライサンプエンジンが
 私の180sxに搭載された3か月に
 事故で廃車になるのは、また別のお話)

その会社はもともとチューニングが本業でして、
事業拡大という事でカーコンビニ倶楽部に
FC加盟し板金塗装も始めるという事でした。

そこで板金塗装の基礎を学び、普通の整備工場では
絶対経験する事の出来ないエンジンのチューニング
なんかを教えて頂きました。

まさに私にとっては天国のような
環境だったのですが
やりがい=賃金とはならない世界でして、

そこでの給料はおおよそ14万円くらいだったとは思うんですが、会社の都合で給料が1~2か月遅れたり、ボーナスはおろか残業代などという概念もない感じでした。

これでは、いままで若気の至りでやってきた私も
さすがにまずいかな??と感じ、専門学校の2年
+2年で4年間の大学に通ったと思おうと思い
この会社は2年間で退社しました。

・板金塗装時代編

給料は安かったものの、やはり自分には板金塗装
特に塗装が好きだったので、しばらくこの道で
やっていこう、

立派な職人に俺はなる!

と誓い、先輩の知り合いの板金工場で
お世話になるも
一日8時間~10時間労働
(残業代?なにそれ?うめえのか?)
で月に約25日出社、
そして渡される現金入りの茶封筒には
『¥100,000』の一行のみ・・・
そしてそこから所得税だけはちゃんと引かれて
手取り9万なにがしだった記憶

(え、何これ?ギャグ的な?
 え?え?時給計算するの怖いんだけど)
みたいな軽いパニックになりつつ

最終的には社長をころ〇気にしかなれず

このままでは危ないと思い退社
(それでも半年くらいは居たかな・・)

そこから、求人見つけては
板金塗装の会社を渡り歩くのですが
大した腕も無いのに

「ここは、従業員の質が悪い」だの
「こんな安い塗料じゃ塗れない」だの
はたまた
「あいつの教え方が悪いから、上達しない」だの

超他責思考のクソマインド野郎として
約1年間で、修理工場を4社渡り歩きました。

※若気の至りって事で。 パート4


※ちょっと思ったより長くなりそうなので
一旦ここで区切らせて頂き、後日パート2
~人生完全迷子編~
からスタートさせようと
思いますので、
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