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「明日は我が身」のハイブリッド戦 日本も平時から備えよ|【特集】プーチンによる戦争に世界は決して屈しない[Part9]

ロシアのウクライナ侵攻は長期戦の様相を呈し始め、ロシア軍による市民の虐殺も明らかになった。日本を含めた世界はロシアとの対峙を覚悟し、経済制裁をいっそう強めつつある。もはや「戦前」には戻れない。安全保障、エネルギー、経済……不可逆の変化と向き合わねばならない。これ以上、戦火を広げないために、世界は、そして日本は何をすべきなのか。

SNSやサイバー空間も「戦場」と化したこの戦争は、日本にとって決して「対岸の火事」ではない。忍び寄る脅威に日本はどう備えるべきか──。気鋭の専門家たちが縦横無尽に語り尽くす。
構成・編集部(大城慶吾、鈴木賢太郎)
撮影・さとうわたる

🔷司会・進行 
 山田敏弘(国際ジャーナリスト)
🔷ディスインフォメーション 
 桒原響子(日本国際問題研究所 研究員)
🔷インテリジェンス
 小谷 賢(日本大学危機管理学部 教授)
🔷サイバー
 大澤 淳(中曽根康弘世界平和研究所 主任研究員)

山田

 ロシアによるウクライナ侵攻について、インテリジェンス(情報機能)、サイバー、ディスインフォメーション(偽情報)などの観点から現在の戦況をどのように評価しているか。

山田敏弘(Toshihiro Yamada)
国際ジャーナリスト
講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などを経て、米マサチューセッツ工科大学の客員研究員として国際情勢やサイバー安全保障の研究・取材活動に従事。著書に『世界のスパイから喰いモノにされる日本』(講談社+α新書)、近著に『プーチンと習近平 独裁者のサイバー戦争』(文春新書)。

小谷

 米国のインテリジェンス機関が衛星や通信傍受により、ロシアの情報を収集しているように見受けられる。さらに英国であれば、プーチン大統領の取り巻きの中に情報協力者を獲得している可能性すら考えられるし、政権を離れロシアを出国したオリガルヒ(プーチン政権を支える新興財閥集団)などから聞き取り調査を行っているのだろう。

小谷 賢(Ken Kotani)
日本大学危機管理学部 教授
1973年生まれ。英ロンドン大学キングス・カレッジ大学院修士課程修了、京都大学大学院博士課程修了。防衛省防衛研究所主任研究官、英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)客員研究員、防衛大学校講師などを経て現職。主な著書に『インテリジェンスの世界史』(岩波現代全書)。

 特筆すべきは、これまでの経過から、米英が収集したインテリジェンスをオブラートに包みながらも、対外的に発信するとともに、ウクライナ政府とも共有していると考えられることだ。従来であれば、米英加豪ニュージーランドの英語圏5カ国によるインテリジェンス同盟である「ファイブ・アイズ」でしか共有されないような情報を、例外的にウクライナに提供することは異例中の異例である。

 米英は世界中にさまざまな情報を発信し続けている。これらは、ロシアの侵攻を抑止する効果は薄かったが、副次的にロシア国内やウクライナ国内に侵攻に関する情報が浸透し、ロシアのディスインフォメーションを駆逐するような効果があった。

大澤

 2013年に、ロシアのゲラシモフ連邦軍参謀総長が現代戦をいかに戦うかという論文の中で、サイバーを含む非軍事的手段対軍事的手段を4対1で使用すると明言しているが、その非軍事的手段の中核を占めるものが情報操作とサイバー戦である。

大澤 淳(Jun Osawa)
中曽根康弘世界平和研究所 主任研究員
慶應義塾大学法学部卒業、同大学院修士課程修了。外務省外交政策調査員、米ブルッキングス研究所客員研究員、内閣官房国家安全保障局参事官補佐、同局シニアフェローなどを経て現職。鹿島平和研究所理事を兼務。専門は国際政治学(戦略評価、サイバー安全保障)。

 軍事侵攻を目的としたサイバー攻撃では軍の通信系統を狙った攻撃が行われることが多いが、今回はウクライナ軍の通信網が遮断されることはなく、重要インフラへの被害も生じていない。これはロシア軍の準備不足によるものか、重要インフラを攻撃し無力化しなくても戦争に勝てると過信した戦略判断ミスなのかは現時点でわからない。ただ、これまでのセキュリティー関係者間の議論を総合すると、ロシア軍が総力を挙げて攻撃したのかという点で、やはり疑問が残る。

 確かに、今年に入ってから、ウクライナの政府機関や軍、同国の二大銀行、民間企業を狙ったサイバー攻撃が発生している(下表)。ロシアが攻撃していると見られるが、それでも被害はあまり大きくなかった。米国などが事前に手を打ち、カウンター攻撃を仕掛け、被害が減殺されたのかもしれない。

表 ロシアはサイバー攻撃でウクライナを打倒できていない

ロシアによるものと推測されるサイバー攻撃の動向
(出所)各種報道資料よりウェッジ作成

情報戦でも苦戦するロシア
人間の感情までは統制困難

桒原

 今回のロシアによるウクライナ侵攻はまさに「SNS時代の戦争」といえる。従来の戦争では政府の広報やプロパガンダ、メディアなどを通じて、国内外の世論に対して〝一方通行〟で情報発信することが常だった。しかし、今回はSNSを利用し誰もが主役になり自ら情報を発信でき、受け手もリアクションができる。その意味で、〝双方向性〟が担保された「SNS時代の戦争」の形である。

桒原響子(Kyoko Kuwahara)
日本国際問題研究所 研究員
1993年生まれ。大阪大学大学院国際公共政策研究科修士課程修了。外務省戦略的対外発信拠点室外務事務官、未来工学研究所研究員などを経て、現職。京都大学レジリエンス実践ユニット特任助教などを兼務。近著に『なぜ日本の「正しさ」は世界に伝わらないのか:日中韓熾烈なイメージ戦』(ウェッジ)。

 14年のロシアによるクリミア併合のとき、ロシアは「クリミアの土地は歴史的にもロシアの領土である」「ウクライナにはネオナチが蔓延している」などと自らの行動の正当性を主張していた。今回もプーチン大統領は、「ゼレンスキー政権はネオナチで、ウクライナを非ナチ化しなければならない」「ロシアとウクライナは同じ民族だ」などとアピールし、ウクライナ侵攻の正当性を主張しようとしたが、この戦略は早々に頓挫してしまった。

 世界中に、ウクライナが激しい戦場になっており、日々悪化する現状を映し出した様子がテレビやSNSで拡散され、ロシアが発信しているメッセージが実態とまるでかけ離れていることが明らかになっていった。ロシアの正当性を裏付ける情報に聴衆は触れることができなかったため、結果的に、今日では世界中に反ロシア、ウクライナ支持というナラティブが席巻し、国際社会もその方向に傾いている。

 ロシアのプロパガンダには二つの特徴がある。一つは、……

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